善光寺大勧進境内散策

千葉県

善光寺大勧進境内散策のイメージ

善光寺は日本最古と言われる仏像を祀るお寺であり、日本を代表する霊場です。

寺伝によれば、ご本尊の一光三尊阿弥陀如来様は、インドから百済国へ伝えられた後、欽明天皇13年(552年)に百済から仏教伝来の折りに日本へ渡ったと言われております。

当時の大和朝廷の豪族の中には、新たに伝わった仏教に否定的な人も多かったと言われており、崇仏・廃仏論争がございました。廃仏派の物部氏が一光三尊阿弥陀如来様を難波の堀江へと打ち捨てた後、信濃国司の従者として都に上っていた本田善光公が一光三尊の如来様にめぐりあいます。

本田善光公は如来様を故郷の信濃国へお連れし、最初は信濃国・飯田市の元善光寺(坐光寺)でお祀りされます。如来様は、皇極天皇元年(642年)現在の地(長野市)に遷座され、本田善光の名を取って「善光寺」と名付けられたとされています。

【引用元】善光寺 大勧進公式サイト
https://daikanjin.jp/about/daikanjin/

ツアーの参加にはアプリが必要です。アプリをインストールしてツアーコード「73920」で検索してください。
アプリを利用すると、デジタルスタンプラリーやフォトブックなどが楽しめます。事故やケガに備えて100円で最大1億円の保険も加入できます。

紫雲閣

長野県長野市

紫雲閣のイメージ

人生の大きな慶事をことほぐ

厳かで華麗さ漂う「仏前挙式」は、夫婦の契りを結んだことをご先祖に告げる古式ゆかしい儀式です。
歴史ある清浄な空間ともてなしでお二人の門出を祝います。
現在、紫雲閣には、百七十九畳敷きの大広間と茶室があり挙式のほかにも仏教行事や茶会および各種会合などに広く利用されています。

【引用元】善光寺 大勧進公式パンフレット

放生池

長野県長野市

放生池のイメージ

命育み輝く水面

放生池は、天明大飢饉(1783~1787)のおり、大勧進住職八十世等順大僧正の英断により、米蔵を開放した時のお礼として民衆の手により造られたものです。
現在、池の北側には大賀一郎博士が種を発見し発芽に成功させた二千年前の蓮が生息しています。
夏になるとあたかも極楽浄土を想わせる見事な花を咲かせて参詣客の目を楽しませると共に年間行事「放生会」では鯛や鮒、鰻などを放ち小さな命を育んでいます。

【引用元】善光寺 大勧進公式パンフレット

庭園と沈香亭

長野県長野市

庭園と沈香亭のイメージ

明治天皇に愛された風情

庭の中心に池を設け、その周囲を巡りながら鑑賞する「池泉廻遊式」の奥庭は室町風の名園として全国に知られています。庭の景色によく馴染む苔生した屋根は、明治天皇ゆかりの茶亭で樹齢二百年におよぶ牡丹の木に囲まれています。優雅な大輪から発せられる香りから「沈香亭」と命名されました。
扁額は、明治天皇皇女北白川宮房子内親王の御筆です。

【引用元】善光寺 大勧進公式パンフレット

大勧進

長野県長野市

大勧進のイメージ

善光寺を護持する山内25院の本坊

天台宗大本山大勧進は、善光寺二十五院の本坊であり本田善光公による開山以来、大本願(浄土宗)と共に代々善光寺如来に仕えてきたお寺です。
平安時代の前期、伝教大師(最澄)は信濃路巡化のおりに善光寺へ参籠されました。
以降大勧進は、千数百年の長きにわたり全国善男善女の篤い信仰心を天台の作法によって支えています。

【引用元】善光寺 大勧進公式パンフレット

萬善堂

長野県長野市

萬善堂のイメージ

故人の冥福を祈る

十一間四面の広大なお堂は大勧進の本堂となっています。
聖徳太子御作と伝えられる善光寺如来をはじめ明治、大正、昭和天皇陛下と徳川家、代々法親王、歴代住職の御霊牌や過去帳および開山本田善光と弥生の前、善佐(よしすけ)の御三卿像を安置しています。
萬善堂はこれらの尊き方々のもと、信徒様をはじめ多くの方々に先祖供養等の法要を営む場所としてご利用頂いています。

【引用元】善光寺 大勧進公式パンフレット

不動堂(護摩堂)

長野県長野市

不動堂(護摩堂)のイメージ

厳格なる慈悲の焔(ほむら)

堂内は厄除不動尊を中心として愛染明王そして天台中興の祖、元三大師をお祀りしています。厄除不動尊は「善光寺不動尊」として呼ばれ、千葉県の成田山不動尊とならび人々に広く親しまれると共に、お堂を訪れる多くの方々に敬拝されています。護摩の炎にうつしだされる憤怒形相の内側から、限りない愛情を発せられているようなお姿は、智証大師円珍の御作とされ現在に継承されています。また「厄除不動尊」の扁額は東郷平八郎元帥の揮捷によるものです。

【引用元】善光寺 大勧進公式パンフレット

無量寿殿(内仏殿)

長野県長野市

無量寿殿(内仏殿)のイメージ

ご本尊と民衆を繋ぐ仏の住まい

「無量寿殿」と書かれた扁額は北白川宮能久親王の御筆です。
七年に一度の御開帳の際、ご本尊の身代わりとして善光寺本堂にお立ちになる「前立本尊」はこのお堂奥の特別宝庫に安置しています。

【引用元】善光寺 大勧進公式パンフレット

行在所

長野県長野市

行在所のイメージ

天皇ご休息の仮宮

寛政十一年(1799)、日光輪王寺公澄法親王を善光寺へ招くために奥書院として建立されたものであるといわれています。明治十一年、明治天皇が東海・北陸へのご巡幸の際に初めて行在所として使用されました。
以降大正天皇、昭和天皇ほか多くの皇族の方が立ち寄りになられています。

【引用元】善光寺 大勧進公式パンフレット

宝物館

長野県長野市

宝物館のイメージ

往時に思いを馳せる古の宝庫

仏像・仏画・五鈷杵・造営図・書跡・興籍・金工ほか善光寺にまつわる歴史的資料や宝物など三千数百点のうち百五十点ほどを展示しています。皇室や武家および寺院にまつわる名高い人物ゆかりの品も保存しており、往時を偲ぶ醍醐味を満喫することができます。
歴史ファンの方、学生の皆さんにもオススメのスポットです。尚、展示品は不定期に入れ替えをしています。

【引用元】善光寺 大勧進公式パンフレット

霊牌堂(位牌堂)

長野県長野市

霊牌堂(位牌堂)のイメージ

故人を偲ぶ静謐(せいひつ)の空間

霊牌堂では徳川家や歴代の真田藩主および諸国城主、そして全国の方々から託された二万有余にのぼる位牌を宗派の別なく安置して毎日回向を行っています。

【引用元】善光寺 大勧進公式パンフレット

大門

長野県長野市

大門のイメージ

寛政元年(1789)初代立川和四郎の作
10万石の格式ある門と言われております。
「大勧進」の扁額は清(中国)の閔鶚元氏の筆であります。

【引用元】善光寺 大勧進公式サイト
https://daikanjin.jp/about/keidai/