※本ツアーは開催前です。
「淀川リバーサイドサイクルライン」付近の枚方市・寝屋川市・守口市の歴史・まちなみを巡る全10スポット!!【ゆるっと淀川サイクリング】の3つのコースの中から3つ以上スタンプを集めて豪華景品に応募しよう!!
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イベント情報はホームページをご覧ください
ゆるっと淀川サイクリング
ツアーの参加にはアプリが必要です。アプリをインストールしてツアーコード「01387」で検索してください。
アプリを利用すると、デジタルスタンプラリーやフォトブックなどが楽しめます。事故やケガに備えて100円で最大1億円の保険も加入できます。
片埜神社本殿
大阪府枚方市
片埜神社本殿は、残されている棟札によると、慶長7年(1602)豊臣秀頼が片桐且元を総奉行に再建したもので、三間社流造、檜皮葺で、細部にいたるまで桃山時代の華麗な様式をよく示しており、昭和25年に重要文化財に指定されています。特に四面を飾る蟇股(かえるまた)の彫刻に当時の特色を見ることができ、「竹に虎」、「芙蓉にせきれい」、「椿にひよどり」など、絵画的で精巧な彫刻がそろっていて見応えがあります。
平成21年から23年に、檜皮葺屋根の葺替、彩色の塗替が行われ、朱漆塗に極彩色の壮麗な社殿がよみがえりました。
特別史跡百済寺跡
大阪府枚方市
特別史跡百済寺跡は、8世紀後半に百済国王の末裔・百済王氏一族が建立した氏寺の跡と考えられています。桓武天皇が訪れたと歴史書にも記載がある百済寺は、奈良の大寺院などに採用される二塔一金堂式の伽藍配置で造られているなど格式が高く、特別史跡に指定されています。
平成27年度から、憩いと親しみにあふれ、古代寺院の景観を体感できる史跡公園とするため、抜本的な遺構保存工事と合わせ、史跡公園としての再整備を進め、築地塀を復元しています。
枚方宿鍵屋資料館
大阪府枚方市
鍵屋は、伏見と大坂を結ぶ三十石船の船待ちの宿として江戸時代に賑わい、平成9年まで料亭を営んでいました。同年、市の有形文化財に指定した鍵屋主屋は、極めて少なくなった江戸時代の様式を残す歴史的建造物で、寄贈を受けた市が解体復原し、平成13年に「市立枚方宿鍵屋資料館」として開館しました。宿場に残された古文書や民具、発掘調査の出土品などの展示やくらわんか舟、三十石船などの模型や映像を見ることができ、枚方宿や淀川舟運の歴史を学んでいただけます。なお、鍵屋の敷地は平成10年に市の指定史跡に指定し、昭和初期に建てられた近代和風建築の別棟は、令和5年に国の登録有形文化財に登録されました。
コスモスロード
大阪府高槻市
三島江地区では、春(4月)に「高槻レンゲ振興会」がレンゲの里を公開する(公開終了後、レンゲを肥料として鋤き込んで水田として活用)ほか、秋(10月)には「三島江実行組合」が中心となり、三島江の休耕田などを活用してコスモスロードを公開する、花にあふれたまちづくりに取り組んでいます。
春のいきいきとしたレンゲ畑はほのぼのとした田園風景に溶け込み、秋にはコスモスがやわらかい日差しの中で揺れています。都市部の近くにこうした景観が広がっていることは大変稀で、都市住民をなごませてくれる癒しの空間となっています。
くらわんか舟発祥地碑
大阪府高槻市
江戸時代、淀川は経済の中心地・大坂と都・京都を結び、さらに琵琶湖を経て東海や北陸地方とも通じる、物流の大動脈でした。大坂・伏見間の旅客専用船・淀川三十石船をはじめ、淀船・伏見船・過書船などの貨物船が、人々の生活と経済活動を支えていたのです。それら淀川を往来する船に酒や食べ物を売る小舟(煮売茶船)を、くらわんか舟といいました。発祥地は柱本とされます。同地の人々が大坂の陣で、徳川軍の物資補給に協力し、幕府から営業特権を与えられたといわれています。「食らわんか、くらわんか」と呼びながら三十石船に漕ぎ寄せるさまは、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』にも登場してます。現在、柱本浜のあったあたりの淀川堤防には、発祥の地碑が建てられ、往時をしのぶよすがとなっています。
萱島神社のくすのきと共存する駅
大阪府寝屋川市
京阪電鉄萱島駅には、高架ホーム下にある萱島神社の御神木で、御樹齢700年ともいわれるクスノキがホームとその屋根を突き抜けて伸びているという、全国に例を見ない景観があります。大楠の生い茂る緑は、ホームで電車を待つ乗客を癒し、夏に涼しげな木陰まで提供してくれます。昭和47年11月,輸送力増強のため着工した土居,寝屋川信号間高架複々線の建設の際、地元の皆さんのクスノキに寄せる尊崇の念にお応えし、新しい萱島駅と共に後世に残すことになったそうです。このクスノキは大阪府の「みどりの百選」にも選ばれました。
成田山不動尊
大阪府寝屋川市
寝屋川市にある成田山不動尊は、千葉県成田市にある成田山新勝寺の大阪別院として昭和9年(1934年)に創建され、自動車の普及とともに交通安全の「お不動尊」として親しまれています。一度に100台の車を祈祷できる日本で初めての専用祈祷殿があり、祈祷殿の目の前に車を停めて祈祷を受けられます。年間20万台もの車が祈祷を受けるとのことです。
節分祭も有名で、NHK朝ドラのヒロインなど多くの芸能人が豆まきに参加することから、市内外から多くの人が訪れ、紙袋などを広げた参拝客が豆を受止める風景が見られます。
佐太天神宮
大阪府守口市
佐太天神宮は、市の北寄り、旧京街道(国道1号)の淀川左岸沿いに位置し、境内は、西側の街道に向かって東西に細長い形状を呈しています。
建物は、西から表門、拝殿、本殿等の順に配置され、北から東側には「大阪緑の百選」に選ばれた境内林が茂り、『河内名所図絵』にみえる江戸時代の景観を今によく伝えています。
創立については、必ずしも明らかではありませんが、「佐太天神宮記」等によると菅原道真が太宰府左遷に際して、暫く舟をつないだ所とされ、その後、道真を慕って祠を建てたのが創建とされています。
文禄堤(ぶんろくづつみ)
大阪府守口市
この堤は、文禄3年(1594年)に伏見城を築いた豊臣秀吉が、京都・大坂を結ぶ最短陸路として、毛利輝元・小早川隆景・吉川広家の三家に命じ、文禄5年(1596年)に整備させたものです。これが街道で後に東海道と呼ばれるようになりました。この堤の長さは約27kmと言われていますが、度重なる淀川の改修等で堤の多くは姿を消しており、ここ守口にのみ面影をしのぶことができる貴重な文化財です。また、地域・コミュニティでの決め事である御法度や掟などを墨書きした木版「高札場」のレプリカが設けられています。高札場は、当時の雰囲気をそのままに再現されており、市民や来訪者がかつての京街道・東海道の往来が華やかなりし頃の文禄堤や守口宿の姿に思いを馳せ、守口の歴史、文化とその魅力を発見するための記念物として、末永く受け継いでいます。この高札場を中心に文禄堤を守口市の観光資源として広く発信しています。
難宗寺(なんしゅうじ)
大阪府守口市
難宗寺は、蓮如上人が、文明9年(1477年)に創立した守口御坊が始まりと伝えられ、慶長16年(1611年)に本願寺掛所となり西御坊と呼ばれるようになりました。その後、たびたび兵火や風水害などに見舞われ、現在の本堂は、文化7年(1810年)に、石清水八幡宮護国寺仮堂の古材を再用して再建されたものです。
難宗寺境内にある大銀杏は、樹齢550年で樹高25m以上、直径は1.5m、枝張り28mで、大阪府指定天然記念物・守口市指定保存樹木8号に指定されています。