熊野ゆかりの三偉人・南方熊楠、植芝盛平、武蔵坊弁慶の地をめぐるツアー。
社寺や施設に点在する偉人の足跡をたどりましょう。
街なかなので、比較的道のりが平坦なのも特徴です。
ツアーの参加にはアプリが必要です。アプリをインストールしてツアーコード「26599」で検索してください。
アプリを利用すると、デジタルスタンプラリーやフォトブックなどが楽しめます。事故やケガに備えて100円で最大1億円の保険も加入できます。
植芝盛平記念館
和歌山県田辺市
【植芝盛平ゆかりの地】
田辺市の名誉市民でもある植芝盛平さんを顕彰する植芝盛平記念館。武道館内に併設され、盛平さんの功績をたたえる様々な展示や合気道の体験コーナーなどがあります。施設の正面には、盛平さんの功績を永く後世に伝えるため建立された盛平さんの像が立っています。
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時/10:00~17:00
休/月曜日(祝日の場合は翌営業日)、12/28~1/4
入館無料
植芝盛平翁生誕の地(生家跡)
和歌山県田辺市
【植芝盛平ゆかりの地】
西ノ谷村の富裕な農家の家に生まれた盛平さん。植芝家にとって待望の男児で、村の有力者であった父の寵愛を受けて育ちました。小さい頃は身体が弱く、内向的な少年だったという一面も。
生家跡には盛平さんの後を継いだ息子の吉祥丸の筆による碑が建てられています。
西八王子宮
和歌山県田辺市
【南方熊楠・植芝盛平ゆかりの地】
盛平さんの生家近くにある神社。明治の神社合祀により一度は廃社されたものの、盛平さんたち地元住民の働きにより復社されました。盛平さんによると、南方熊楠の神社合祀反対運動に感銘を受け、共に奮闘したそうです。
地蔵寺
和歌山県田辺市
【植芝盛平ゆかりの地】
盛平さんが小さい頃から勉学を学びに通ったお寺。幼いながら理解力が高かった盛平さんは、住職が語る密教の修法や弘法大師の奇跡説話に熱中したそうです。
境内には田辺出身の江戸時代の大関「千田川」の墓所もあります。
高山寺
和歌山県田辺市
【南方熊楠・植芝盛平ゆかりの地】
熊楠さんの墓所がある真言宗の古刹。海を見下ろす高台にあり、熊楠さんは生涯の親友であった喜多幅武三郎の墓所のそばで眠っています。
境内には熊楠さんがよく採集に行き、新種の変形菌(アオウツボホコリ)を発見した猿神社跡も。猿神社が合祀され跡地の植物が伐採されたことが神社合祀反対運動のきっかけとなりました。
植芝家先祖代々の墓所がある真言宗のお寺。境内の道場では合気道の稽古が行われており、ふるさと田辺でも子供から大人まで、たくさんの方が合気道に親しんでいます。
※デジタルスタンプは「多宝塔(写真参照)」付近で獲得できます。
南方熊楠顕彰館・南方熊楠邸
和歌山県田辺市
【南方熊楠ゆかりの地】
南方熊楠顕彰館は、熊楠さんが暮らした邸宅の隣に開設された資料館。熊楠さんが遺した蔵書・資料等を見ることができます。熊楠さんにまつわる展示会やイベントも開催され、バッグや文具などオリジナルグッズも販売しています。邸宅は熊楠さんが暮らした当時の様子を復原しています。
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時/10:00~17:00(最終入館16:30まで)
休/月曜日、第2・第4火曜日、祝日の翌日(土日祝は除く)、12/28~1/4
料/南方熊楠顕彰館・・・入館無料、南方熊楠邸・・・350円(高校生以下無料)
日吉神社
和歌山県田辺市
【南方熊楠ゆかりの地】
日吉神社は高山寺の猿神社と同じく猿神を祀っており、祭りの神輿のご神体や狛犬もお猿さん。神楽神社とともに、熊楠さんの反対運動により合祀を免れました。
神楽神社
和歌山県田辺市
【南方熊楠ゆかりの地】
神楽神社周辺のうっそうとした森は独特の植物相で、熊楠さんはたびたび採集に訪れ、境内のため池で珍種の藻を発見。熊楠さんが社叢の保全を強く呼びかけ、合祀を免れました。
磯間浦安神社
和歌山県田辺市
【南方熊楠ゆかりの地】
磯間浦安神社の前から神島を望むことができ、熊楠さんは写真の裏書にここからの眺めと神社合祀への反対意見を述べています。
熊楠さんの保全活動の末、神島は国の天然記念物になり、生態系の保護のため許可なく上陸することは禁止されています。
八立稲神社
和歌山県田辺市
【南方熊楠ゆかりの地】
八立稲神社は、もともとは東八王子社という名前でしたが、1873年に上ノ山東神社に改められ、その後1907年に八幡、出立、稲荷の3つの神社が合祀され「八立稲」神社という名前になりました。
闘鶏神社
和歌山県田辺市
【南方熊楠・武蔵坊弁慶ゆかりの地】
熊野三山の別宮的存在で世界遺産にも登録されている神社。
熊楠さんは境内の森「仮庵山(かりおやま)」を「クラガリ山」と呼び、平地ではなかなか見ない密林であるとして調査研究しました。
また熊楠さんの妻・松枝はこの神社の宮司の娘で、結婚前にはなにかと理由をつけて松枝に会いに通っていたというほほえましいエピソードも。
境内には、鶏合神事の様子を再現した「湛増・弁慶の像」があります。熊野水軍を率いる湛増に援軍を求めるため源氏側の使者として訪れたのが弁慶だったと言われています。また、社務所には弁慶産湯の釜や湛増が使ったとされる烏帽子や鉄扇等の宝物が展示されています。
弁慶像
和歌山県田辺市
【武蔵坊弁慶ゆかりの地】
田辺市は弁慶生誕地として有力視されており、駅前では巨大な弁慶像が出迎えてくれます。
大福院
和歌山県田辺市
【武蔵坊弁慶ゆかりの地】
古くは鬪雞神社の修理本願を担っていた寺院。境内には弁慶生誕地の碑があります。
海蔵寺
和歌山県田辺市
【武蔵坊弁慶ゆかりの地】
弁慶の父とされる湛増が源平合戦に熊野水軍を出陣させた際、戦勝を祈願したという「弁慶観音」と呼ばれる木造観音像(非公開)が安置されています。
八坂神社
和歌山県田辺市
【武蔵坊弁慶ゆかりの地】
田辺第一小学校の裏手にある小さな神社。境内には弁慶が少年時代に座ったといわれる弁慶の腰掛石があり、大人でも座れるくらいの大きなお尻のくぼみができています。
弁慶松・産湯の井戸
和歌山県田辺市
【武蔵坊弁慶ゆかりの地】
田辺では昔から地元の英雄として「弁慶さん」が親しまれていました。そんな田辺の人が弁慶を偲んで植樹したとされるのが弁慶松。
江戸や明治のころには近くの旅籠(はたご)の使用人が朝早くに落ちた弁慶松の葉を拾いに来て、台所の焚き付けに使っていたとか。熊野詣の人々が無事に参詣を終えるとふるまわれたお祝いの餅「山祝い餅(または弁慶の力餅・山越餅)」も、そのかまどで蒸されたもち米をついて作られていたそうです。
5代目までは片町にあり1975年に枯死しましたが、その種子から育てた6代目弁慶松が田辺市役所前に植えられています。
弁慶産湯の井戸は、弁慶の産湯の水を汲んだと伝えられている井戸。1960年までは田辺第一小学校内にありましたが、現在は田辺市役所前、弁慶松の横に復元されています。
熊野水軍出陣の地碑(扇ヶ浜カッパーク内)
和歌山県田辺市
【武蔵坊弁慶ゆかりの地】
扇を広げたような砂浜からその名がついた扇ヶ浜は、地元の人たちも集う憩いの場。鶏合せにより源氏に味方することを決めた湛増は、ここから熊野水軍200隻を出陣させたといわれています。