歴史をめぐる冒険 ~南河内デジタルスタンプラリー~

大阪府

※本ツアーは開催前です。

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南河内の2市2町1村によるデジタルスポットツアー第1弾!
悠久の歴史を感じる寺社・史跡スポット5か所をめぐってスタンプをあつめよう!!
全部集めると…抽選でいいものあたります!

ツアーの参加にはアプリが必要です。アプリをインストールしてツアーコード「pfFxB9wtLJ」で検索してください。
アプリを利用すると、デジタルスタンプラリーやフォトブックなどが楽しめます。事故やケガに備えて100円で最大1億円の保険も加入できます。

誉田八幡宮【羽曳野市誉田】

大阪府羽曳野市

誉田八幡宮【羽曳野市誉田】のイメージ

縁起(えんぎ)によると欽明天皇の命令で応神天皇陵の前に誉田宗廟(こんだそうびょう)の神殿を建立したことがはじまりで、後冷泉(ごれいぜい)天皇の永承(えいしょう)6年(1051)に社殿を現在の場所に移したとされています。

平安末期から鎌倉時代にかけて歴代天皇や将軍に守られて、社殿や伽藍(がらん)などが整備されました。やがて八幡信仰が盛んになるにつれて、源氏を名乗る武士の信仰を集めました。しかし、戦国時代になると再三の兵火に見舞われ、社殿や伽藍は焼失しました。現在の本殿や拝殿は、豊臣氏によって再建されたものと言われています。また護国寺(ごこくじ)も再建されましたが、明治初めの廃仏毀釈により取り壊され、唯一南大門(なんだいもん)だけが当時を偲しのぶ建物として残っています。

その他、八幡宮には源頼朝寄進の「塵地螺鈿金銅装神輿(ちりじらでんこんどうそうしんよ)」(国宝)や丸山古墳出土の「金銅装透彫鞍金具(こんどうそうすかしぼりくらかなぐ)」(国宝)など貴重なものが数多く収められています。

狭山池(龍神社)【大阪狭山市岩室】

大阪府大阪狭山市

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狭山池は、現存する日本最古のダム式ため池です。飛鳥時代に造られ、『古事記』『日本書紀』にも登場します。奈良時代に行基、鎌倉時代に重源、江戸時代に片桐且元が、改修を指揮しました。平成の改修にいたるまで、約400年ごとに実施した大規模改修には、各時代の最新技術が用いてあります。
龍神社は、「狭山池の龍神さん」として親しまれています。江戸時代まで池の近くにあった「善女龍王(ぜんにょりゅうおう)」の祠(ほこら)が前身です。1858年の西除修理で西堤から池内へうつり、水面に映える現在のような姿になりました。明治時代に「水分神(ミクマリノカミ)」をまつる「水分神社」へ改名し、平成の改修後に「龍神社」として再びまつられました。毎年6月1日の龍神祭りでは、北堤の西端に近い鳥居の前から水利関係者が、狭山池と水下地域の豊かな水と安全を祈願します。
池の周辺は遊歩道が設置され、大阪府立狭山池博物館・大阪狭山市立郷土資料館や多目的広場、東屋などがあり、歴史と文化のシンボル空間となっています。
また、狭山池は、水下や地域の多くの人びとの惜しみない努力によって、1400年もの間守り伝えられてきた文化遺産で、歴史的・学術的価値の高いものと評価を受け、2015年3月10日に国の史跡に指定されています。

叡福寺と聖徳太子御廟【太子町太子】

大阪府南河内郡

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聖徳太子墓を守護するために、推古天皇によって建立され、奈良時代に聖武天皇が大伽藍を整備したと伝えられる叡福寺は、聖徳太子信仰の霊場として発展しました。織田信長の兵火によって、一時は全山が焼失しましたが、豊臣秀頼の聖霊殿再建に始まり、順次伽藍が再興されました。太子の忌日を偲んで行われる毎年、4月11・12日の大乗会式は、多くの参詣者でにぎわいます。

弘川寺【河南町弘川】

大阪府南河内郡

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西行法師終えんの地として知られる弘川寺は、役行者の開基でその自作といわれる薬師如来像を本尊として、天武朝期に勅願寺となり行基や空海もここで修行したと伝えられています。
似雲法師は、西行の墓をこの寺に尋ね当て、当山に庵を結んで、西行堂を建立。自らもここに没しました。

弘川寺には、樹齢350年余の海棠(バラ科の一種:府指定の天然記念物)があります。
また境内には西行記念館があり、西行直筆といわれる掛け軸をはじめ、西行法師にまつわる数多くの資料が展示されています。

楠公誕生地【千早赤阪村水分】

大阪府南河内郡

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楠木正成生誕の地という伝承が残る場所です。国史跡赤阪城跡(下赤阪城跡)から約500メートル、国史跡楠木城跡(上赤坂城跡)から約2キロメートルと山城とのセット関係を想定しうる場所に位置し、桐山遺跡とともに楠木氏館跡と考えられる候補地の1つです。
楠公誕生地遺跡は、平成2~4年にかけて「くすのきホール」建設に伴って発掘調査が行われており、2重の堀に囲まれた建物跡を確認しています。