海城サミット2023 in Chiba デジタルスタンプラリー

千葉県

※本ツアーは終了しました。

海城サミット2023 in Chiba  デジタルスタンプラリーのイメージ

2023年1月1日(日)から 2023年3月19 日(日)の間、海城8城をまわるデジタルスタンプラリーを開催します。
蔵波城、飯野陣屋、佐貫城、天神山城、造海城、金谷城、妙本寺砦、勝山城に来城いただき、デジタルスタンプを収集して楽しんでいただくイベントです。
これらのお城は袖ケ浦市から鋸南町間の内房線駅13 駅中8 駅を利用して来城でき、鉄道路線に沿って海城が集中している日本有数の海城鉄道ラインです。
上記開催期間中にアプリをダウンロードし、現地にてデジタルスタンプを収集ください。
期間中すべて (8 城 ) 収集された方には、ノベルティをプレゼントします。
また、8 城のうち御城印発行済みの天神山城を除く 7 城の御城印をご提示いただくと、千葉の御城印帳などの景品があたるキャンペーンも実施します。

ツアーの参加にはアプリが必要です。アプリをインストールしてツアーコード「72154」で検索してください。
アプリを利用すると、デジタルスタンプラリーやフォトブックなどが楽しめます。事故やケガに備えて100円で最大1億円の保険も加入できます。

蔵波城

千葉県袖ヶ浦市

蔵波城のイメージ

蔵波城は16世紀には里見氏の城として、対小田原北条氏の前線基地の役割を担っていました。
蔵波城から北東約2kmの距離にある久保田城は、天正14年(1586年)頃には北条氏が支配していて、非常に近い位置で里見氏と北条氏が対峙していたことがわかります。
船戦の戦況を報告する書状も残っていて、蔵波城の前面の海で里見方と北条方が船戦を繰り広げ、北条方が勝利したことがわかっています。

※スタンプラリーポイントは蔵波城山頂の案内板付近です。

佐貫城

千葉県富津市

佐貫城のイメージ

16世紀前半、佐貫城は上総武田氏の拠点の一つでした。その後、里見氏と小田原北条氏の争いがおき、佐貫城も両勢力の戦いの舞台になりました。
北条氏が擁立した古河公方足利義氏が佐貫城に入っていることからも、北条氏がいかに佐貫城を重要視していたかがわかります。
近世初頭には徳川譜代の内藤氏が入り、その後は城主が入れ替わりながらも江戸時代を通して存続しました。

※スタンプラリーポイントは佐貫城大手口案内板付近です。

金谷城

千葉県富津市

金谷城のイメージ

金谷城は目の前に東京湾が広がる海上交通の要衝地です。戦国時代には里見実堯が居城としていて、里見水軍の拠点でした。
佐貫城、造海城、勝山城が里見氏の拠点として整備されていくと、金谷城は造海城の支城として連携し存続していったと思われています。

※スタンプラリーポイントはTJKリゾート山麓ゲート付近です。

造海城

千葉県富津市

造海城のイメージ

造海城の目の前には東京湾が広がる海上交通の要衝地です。対岸わずか12km先に三浦半島があり、戦国期には北条水軍の拠点であった浦賀城(横須賀市)を正面に見ることができます。
築城時期などの詳細は不明ですが、真里谷武田氏が上総国に勢力を広げていく過程の中で城として取り立てられたと思われます。真里谷武田氏没落の後は里見氏の城として、里見家臣である正木氏がこの地に入り、江戸湾を挟んで北条氏と繰り広げた抗争の舞台となったと考えられます。
幕末には異国船への備えのため、造海城の曲輪などを利用して、竹ヶ岡砲台が築かれました。

※スタンプラリーポイントは山麓の燈籠坂大師(東善寺)付近です。

勝山城

千葉県安房郡

勝山城のイメージ

勝山城は対小田原北条氏のために築かれた里見水軍の基地です。標高80mの八幡山に築かれ、眼下に勝山湊を臨むことができます。
里見氏配下の内房正木氏が勝山城に入り、金谷城と岡本城と連携していたと思われます。
江戸時代に入り、里見氏が改易になると、内藤氏が入府。北麓に陣屋が築かれ、町は発展していきました。

※スタンプラリーポイントは勝山城山頂の八幡神社鳥居付近です。

妙本寺砦

千葉県安房郡

妙本寺砦のイメージ

中谷山妙本寺は、房総半島の中でも屈指の日蓮宗の古刹です。14世紀前半に創建され、その後、永正11年(1514)に里見義通がここを陣所として以来、有事の際には里見氏の要害として使われたため、戦国期には何度も戦火にさらされました。「妙本寺要害」「妙本寺砦」などとも呼ばれています。
海に面した丘陵地に位置し、本堂を囲むようにぐるりと尾根がめぐっており、自然地形を使って要害化した痕跡が見られます。

※スタンプラリーポイントは妙本寺山門付近です。

飯野陣屋

千葉県富津市

飯野陣屋のイメージ

飯野陣屋は保科正貞によって築かれた上総国飯野藩の陣屋です。
保科氏は甲斐武田氏、次いで徳川氏に仕え、譜代大名となりました。そして、徳川秀忠の4男を養子に迎え、その子が高遠藩主保科正之となります。その後、正之は会津に移りますが、飯野藩は会津保科家を本家とし、幕末まで分家として存続、陣屋も維持されました。
今に残る見事な水堀は「飯野陣屋濠跡」として、千葉県の指定史跡になっています。
飯野陣屋は敦賀陣屋(越前国)、徳山陣屋(周防国)とともに「日本三陣屋」に数えられています。

※スタンプラリーポイントは飯野陣屋内の飯野神社付近です。

天神山城

千葉県富津市

天神山城のイメージ

天神山城は天神社の背後の山陵に築かれました。真里谷武田氏の支城だった天神山城を小田原北条氏が改修整備したと考えられています。
北条氏が天神山に米の運び入れを指示している書状も残っていることから、北条氏の房総半島における拠点のひとつとなっていたことが考えられます。

※スタンプラリーポイントは天神山城北麓の天神社付近です。