【第2弾】南北朝・菊池一族歴史街道スタンプラリー

八女市

【第2弾】南北朝・菊池一族歴史街道スタンプラリーのイメージ

 昨年度、大好評を博しました「南北朝・菊池一族歴史街道スタンプラリー」。
 前回参加できなかった皆さまも、お待たせしました! 皆さまの声にお応えして第2弾を開催します!! 
 私たち南北朝・菊池一族歴史街道推進連絡協議会(福岡県久留米市、八女市、小郡市、うきは市、大刀洗町、熊本県菊池市)の地域には、その時代の史跡・戦跡のほか、南北朝時代に活躍した武士団によってつくられた地域の歴史や、その武士団一族の影響を後世まで残す歴史文化、また地理的環境によりもたらされる豊かな農産物など数多くの魅力があります。
 そのような地域の特色あふれる場所を、スポットとして厳選しました。スポットを回ることで、それぞれの地域の魅力に楽しみながら触れることができるスタンプラリーです。
 スポットを巡り、スタンプを集めてご応募ください。スタンプの数に応じて、各地域の特産品や、今回は、日本三大合戦の一つに数えられる「筑後川の戦い」の陣図をデザインした特製モバイルバッテリーが合計100名様に当たります!
 初めてご参加の皆さまはもちろん、2回目ご参加の皆さまも前回とは違う魅力・楽しみを探しに、さぁ出発です!!

※スタンプラリーへの参加は無料ですが、通信料および移動に必要な経費は参加者負担となります。
※ご利用の端末、ブラウザによってスタンプラリーWEBサイトが正しく作動しない場合があります。
※GPSの精度によって誤差が生じるため、場所によっては地図上で現在位置がずれる可能性があります。GPSの精度による誤差等にて生じた一切の責任は負いかねますのでご了承ください。
※このスタンプラリーでは、GPSによる位置情報を常に取得するため、端末の電池を多く消耗します。充電、予備のバッテリーの携帯など電池に余裕を持たせてからご参加ください。

ツアーの参加にはアプリが必要です。アプリをインストールしてツアーコード「02736」で検索してください。
アプリを利用すると、デジタルスタンプラリーやフォトブックなどが楽しめます。事故やケガに備えて100円で最大1億円の保険も加入できます。

久留米森林つつじ公園

福岡県久留米市

久留米森林つつじ公園のイメージ

 筑後国一ノ宮の格式を誇る高良大社が鎮座する、標高312mの高良山。その山頂部に久留米森林つつじ公園があります。久留米市は福岡県の「県の木」でもある久留米ツツジの一大産地でありながら、ツツジを鑑賞する場所がなかったことから、昭和42(1967)年より公園の整備が始まり、昭和62(1987)年に開設されました。
 公園からは、大保原合戦の舞台となった筑紫平野を一望することができ、春には、雄大な眺望と、久留米ツツジや平戸ツツジなど100種、61,000株ものツツジの花が咲き乱れる様子を楽しみに、多数の市民がドライブやハイキングに訪れます。
 駐車場から園路を上ると、毘沙門岳城跡があります。築造者・時期は不明ですが、南北朝時代には、西側に隣接する杉ノ城と共に、南朝方の拠点となった山城です。毘沙門岳城には、土塁や横堀、切通し、畝状竪堀、堀切が良く残されています。最頂部は土塁で囲まれた平坦地となっており、ここが主郭であったと考えられます。主郭の東側尾根にも堀切や郭があります。
 公園の西側の谷を下ると、高良大社奥の院があり、湧水を利用した御手水が流れています。この水は、北朝方に包囲され、窮地を迎えた懐良親王が覚悟を決め、この水で菊池一族らと水杯を交わしていたところ、なぜか北朝方が包囲を解き、窮地を脱したことにより、「勝ち水」と名付られたと伝わる水です。後には高良山座主より「保命水」とも名付けられています。(飲用水ではありません)

宮ノ陣神社

福岡県久留米市

宮ノ陣神社のイメージ

 八女郡矢部に良成親王の御陵があることを発見した高良大社の宮司、船曳鉄門(ふなびきかねと)は、山中に葬られた良成親王の霊を慰めるため、明治12(1879)年頃、同志を集め、三井郡合川村宮立(久留米市合川町市ノ上)に良成親王の霊を祀る小社を私設しました。
 その後、官許を得て、明治21(1888)年、神社は大保原合戦時に懐良親王が陣を置き、親王がお手植されたと伝わる、「将軍梅」がある現在地に遷され、「宮ノ陣神社」となりました。当時は小祠でしたが、明治25(1892)年に現在の社殿が造営され、明治44(1911)年9月には懐良親王も合祀されました。その後、地元出身の戦没者146柱も合祀されています。
 神殿の南東側には石柵があり、中に将軍梅があります。現在は5本の梅の木があり、その周囲にも多数の梅が植えられ梅園となっています。
 その東側に浄土真宗大谷派「遍万寺」の山門があります。大保原合戦に何とか勝利はしたものの、戦場のあまりの悲惨さに心を痛めた菊池武邦は、剃髪して正西と号し、「百万遍寺」と称した草庵を将軍梅の傍らに結んでいます。正西はこの草庵に懐良親王の念持仏と戦死者の霊牌を祀り、日々百万遍の仏名を唱える日々を送りました。後に寺名は遍万寺と改められましたが、現在も正西のご子孫が住持を勤められ、供養が続けられています。

学びの館(旧隈本家住宅 石橋忍月文学資料館 収蔵文化財展示場)

福岡県八女市

学びの館(旧隈本家住宅 石橋忍月文学資料館 収蔵文化財展示場)のイメージ

 八女市役所黒木支所から徒歩約5分、学びの館には旧隈本家住宅、石橋忍月文学資料館、収蔵文化財展示場があります。収蔵文化財展示場は八女市黒木町にゆかりのある古文書などの歴史的資料を収集し、良好な状態で保存・公開する施設として建設されたもので、近世の古文書、近代議会議事録や、明治期の文芸評論家で、文豪森鴎外との「舞姫」論争を展開したことで知られる石橋忍月関係資料が収蔵されています。
 八女市黒木町をはじめとした八女市東部には、南北朝時代たびたび戦場になったこともあって南北朝時代にまつわる伝承や行事、文化財、地名が数多く残されています。4月末からゴールデンウィークにかけては良成親王お手植えと伝わる黒木のフジ(国指定文化財)が花開き、9月23日には貴重な宝物が公開される五條家御旗祭、10月8日の良成親王の命日には、八女市矢部村の大杣公園で大杣公園祭が開催されます。
 八女市東部の入口となる学びの館で、南北朝ゆかりの歴史に触れ、八女市各地をぜひ訪問ください。

玉水山大円寺と星野村資料館

福岡県八女市

玉水山大円寺と星野村資料館のイメージ

 後醍醐天皇の皇子である懐良親王は九州平定の任を受けて、幼くして征西将軍となって五條頼元らとともに、九州へ派遣されました。延元3(1338)年8月、伊勢の大湊を出航して瀬戸内海に入り、讃岐を経由して忽那島(現松山市)に上陸。ここで九州への渡海の機を窺(うかが)いながら3ヵ年滞在します。興国3(1342)年5月、薩摩の谷山城(現鹿児島市)に入った親王は、ここでも6ヵ年の滞在を余儀なくされます。目的地の菊池城(現菊池市)に到着したのは、吉野(奈良県)を出て10年目のことでした。
 その後、九州平定を目指して戦いを繰り広げた親王は、正平14(1359)年夏に大保原の戦で、菊池武光等の奪戦もあって勝利を収めます。その2年後、遂に大宰府に征西府を設置しました。以後の12年間が九州南朝方にとって全盛期でした。文中元(1372)年8月、九州探題の今川了俊によって大宰府を追われた親王は、高良山へと撤退して御在所を構えますが、そこも追われて、星野谷へと退き、御在所としました。このころに征西将軍職を良成親王に譲られたとみられています。天授3(1377)年4月には、ここ大円寺に入られており、晩年の6年間は信仰生活を送られました。
 この寺は懐良親王のお位牌を安置する寺であるとともに、星野氏累代の菩提所(ぼだいしょ)です。親王は天授3(1377)年から弘和3(1383)年に薨去(こうきょ)されるまで、大円寺で信仰生活を送られました。襖の下張りから菊と桐の御紋が見つかったことも、親王在住を証する名残りと伝えられます。

史蹟「高卒都婆」

福岡県小郡市

史蹟「高卒都婆」のイメージ

 自衛隊の自動車訓練場横の墓地の一画に、1923(大正12)年三井郡教育会が建てた「史蹟高卒都婆」の碑があります。碑の裏面には「大保原戦ニテ戦没セシ将士ヲ埋葬供養セシ所ナリ。今尚此附近ヨリ屡々多クノ枯骨ヲ発掘ス」と彫られています。合戦の戦死者を葬って、冥福を祈るため卒塔婆を立て千僧相寄って供養した場所とされています。もとは1916(大正5)年に竣工した東野溜池の南岸近くの場所が高卒都婆と呼ばれていたようです。

福童原古戦場跡

福岡県小郡市

福童原古戦場跡のイメージ

 大保原合戦(大原合戦)の後、1361(正平16・康安元)年に懐良親王・菊池武光ら征西府は大宰府入りを果たします。一方、北朝方はこの状況を認めるわけにはいきません。1371(建徳2・応安4)年、幕府の要職(引付頭人・侍所頭人)を歴任した今川了俊を九州探題に任命し、大宰府の奪還を図ります。1372(文中元・応安5)年、今川了俊は入念な準備の末、大宰府奪還に成功し、懐良親王らは高良山に退却することになりました。さらに1374(文中3・応安7)年8月、了俊は高良山の征西府を攻めるために福童原に陣を敷き、9月、了俊率いる探題軍は高良山を攻略、征西府は菊池へ撤退しました。そしてこの後、征西府が再び九州で覇権を握ることはありませんでした。
 当地は、その福童原の戦いによる戦死者を祀る場所です。

吉井歴史民俗資料館

福岡県うきは市

吉井歴史民俗資料館のイメージ

 この施設のメインテーマは「うきは市吉井町の成り立ち」。
 うきは市吉井町がどう歴史と係ってきたか、古代から南北朝時代の星野氏との関係、近世の動きなどを展示されたパネルを見ることにより知ることができます。
 大石・長野水道についての資料や農業・商業・生活などに関係する民俗資料、伝統的建造物群保存地区内を撮影した古写真などが展示されています。
 中でも、 国の重要文化財に指定されている「筑後国浮羽郡月岡古墳出土品一括」の特設コーナーは一見の価値ありです。
 2階展示室には、塚堂古墳出土品・法華原遺跡出土縄文土器の展示のほか、うきは市吉井町で出土した考古資料も展示されています。

営業時間 9:00~16:30
定休日 月曜日(祝日の場合は翌日)
駐車場 有り
住所 うきは市吉井町983番地1

観光会館「土蔵(くら)」

福岡県うきは市

観光会館「土蔵(くら)」のイメージ

 うきは市の観光情報の発信基地。
 酒づくりが盛んだった吉井の酒蔵を改装した建物の中には、うきは観光みらいづくり公社の事務所とうきは市のゆるキャラ「うきぴー」の小物を取り揃えたうきぴーショップのほか、人気のどら焼き店 Qui-ti-co-co(キチココ)が営むカフェが併設されています。
 観光パンフレットやマップなどをご用意しておりますので、ご自由にお持ちください。
 電動アシスト付き自転車のレンタルも行っております。

・営業時間:9:00~17:00
・休日:月曜日(祝日の場合は翌日)
・駐車場有り ・住所:福岡県うきは市吉井町1043-2

菊池武光像(大刀洗公園)

福岡県三井郡

菊池武光像(大刀洗公園)のイメージ

 大刀洗川のほとりに広がる大刀洗公園。その中央部に菊池武光の銅像が大刀洗川を見下ろすようにそびえ立っています。昭和12年に立てられたこの像は、全国的にも珍しい下馬した姿で、今まさに太刀を洗わんとするかのようです。
 馬の胴体や台座の傷跡は、陸軍大刀洗飛行場を標的とした大刀洗空襲の際の機銃掃射や爆撃によるものと伝わります。
 自身が激戦を繰り広げたこの地が再び戦禍に巻き込まれる様を、武光はどのような思いで見つめていたのでしょうか。

三原城跡(本郷城跡)

福岡県三井郡

三原城跡(本郷城跡)のイメージ

 武光の台頭する前の延元元(1336)年、多々良浜の戦いで足利尊氏に敗れた肥後の菊池武敏は、本郷の三原朝種に護られて「三原城」に逃げ込みました。ここで10日あまり籠城して戦ったが、とうてい足利方の仁木義長の攻撃を支えることはできませんでした。
 三原城は石垣を高く積んで、天守閣をもつような城ではなく、屋敷を堀でかこんだ館です。今でも堀の跡がよく残っています。天正14(1586)年に当主三原紹心が太宰府の四王寺山の岩屋城で鹿児島の島津軍との戦いで討ち死にし、城としての役目は終えました。平地にある城(館)で堀がはっきり残っているのは福岡県内では三原城だけで、大変めずら しい遺跡です。平安時代より栄えた三原家代々の居城・三原城があった本郷地区は、現在も昔ながらの街並みがたくさん残っています。白壁造りの家や寺社仏閣、醬油の蔵元、酒造など歴史情緒あふれる街並みが広がります。

台(うてな)城跡

熊本県菊池市

台(うてな)城跡のイメージ

 「うてな」城と読みます。菊池十八外城の一つで、別名「水島城」ともいいます。
 この城が大きな舞台となったのは、「水島の戦い」です。天授元(1375)年3月、九州探題今川了俊は菊池勢を追って筑後から肥後へと入り、さらに4月には日の岡へ陣を進めました。これを迎え撃つ菊池賀々丸(後の17代武朝)は水島の台城に陣を敷き、木野川をはさんで了俊の陣と対峙します。この戦いは、本領菊池で了俊の肥後への侵攻を食い止める極めて重要な戦いでした。この時、賀々丸は13歳、祖父の武光、父の武政と相次いで亡くし、元服前の12歳で家督を相続したばかりの少年でした。
 このにらみ合いの中、探題として力をふるう了俊を快く思っていなかった少弐冬資は、ひそかに菊池勢によしみを通じてきました。これを知った了俊は、島津氏久を通じて冬資を陣中に招き、宴の最中に暗殺してしまいます。氏久はこれに激怒、直ちに兵を率いて薩摩へ帰ってしまいました。今川軍は混乱に陥ります。
 この機に乗じて、菊池勢は攻撃へ!! さすがの了俊もここでは大敗を喫し、南関・高瀬を経て肥前の高尾まで総退却となったのでした。
 その後、板井原の戦いの中、天授6(1380)年、亀尾城を拠点とした今川勢により台城は落城します。
 さて、ここからは台城跡周辺のお楽しみSpotをご紹介。次のスポットを目指す前に、少し寄り道をしてみませんか? 思いがけず、素敵なひと時が見つかるかもしれません。
【道の駅七城メロンドーム】 https://melondome.co.jp/
 国道325号沿いの道の駅。季節の果物や採れたて野菜が並ぶほか、パッケージに菊池一族のイラストが描かれた米はお土産に最適です。地元のメロンを使用したオリジナル商品も盛りだくさん。ドーム限定の「メロンサイダー」も新登場!
【鴨川河畔公園:熊本県菊池市七城町甲佐町764 TEL:0968-25-7242】
 川遊びが楽しめる広々とした公園です。遊具広場と芝生広場の真ん中を流れる鴨川は大人の足首からふくらはぎほどの水深で飛び石なども配置、小さいお子様連れでも水遊びが楽しめます。遊具広場には、いろいろな滑り台が組み合わさった大型遊具やキリンやゾウが可愛い小さめサイズの遊具のほか、フェンスで囲われた1~3歳児専用のスペースもあります。芝生広場では、テントを張ったり木陰でお弁当を味わったりと、ピクニック気分でのんびりとした時間を過ごすことができます。
【七城温泉ドーム】 https://www.onsendome.com/
 大浴場、2種類の水風呂があるサウナ、露天風呂付きの家族風呂など、目的や人数に応じて選ぶことができる温泉施設。一戸建てのコテージもあり、気兼ねなく宿泊もできます。他にもいろいろなプランをご用意、あなたに合った癒しの時間をお過ごしください。

円通寺公園

熊本県菊池市

円通寺公園のイメージ

 円通寺は1070(延久2)年、菊池一族初代則隆によって創建されたと伝えられています。
もとは824(天長4)年に淳和天皇が京都に建てた大宝山円通寺という寺でしたが、その荒廃ぶりに驚いた則隆が、朝廷に願い出て肥後国に遷したのだといわれています。菊池氏衰亡後は戦乱などで荒廃した時期もありましたが、1667(寛文7)年、熊本藩主・細川家の菩提寺である竜田山泰勝寺の春山和尚が再興し、泰勝寺の末寺としました。
 寺の入り口でひときわ目を引く特徴的なデザインの石門は、天保年間(1830~1844)に、自忍和尚が寺内を修復した際に築かれたもので、熊本県重要文化財に指定されています。
 さて、ここからは円通寺の周辺にあるお楽しみSpotをご紹介します。次のスポットへ行く前に、少し寄り道をして地元ならではの楽しみで心やお腹を満たしてみませんか?
【四季の里旭志】 https://www.shikinosato.info/
 鞍岳は、正平15(1360)年、15代武光が一族のライバル佐々木(合志)定実との戦いで勝利を収めた地です。標高は1,118m、初心者から登ることができる山として親しまれています。鞍岳中腹にあるアウトドアステーション「四季の里旭志」では、キャンプやバーベキューも楽しめます。
【道の駅旭志】 https://www.kyokushi.com/
 国道325号沿いにある道の駅。地元の新鮮野菜やお土産、月に約1万個を売り上げるメンチカツなどが並びます。レストラン「食彩館」でも、旭志牛や地元食材をふんだんに使ったメニューが味わえます。
【コッコファームたまご庵】 https://www.cocco-farm.co.jp/
 こちらも国道325号沿いにあります。直営農場から毎日運ばれる「コッコファームのたまご」の販売をメインに、鶏肉の加工品や地元の採れたて野菜、卵を使用したスイーツなどをお買い求めいただけます。レストランには、「たまご屋さん」ならではのメニューが並びます。