堺環濠周遊自転車マップ

堺市

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サイクルシティ・堺の市街地を囲む濠、「環濠」を自転車で辿りながら、点在する周遊スポットで堺の歴史や文化、産業に触れ、堺の魅力を堪能しよう!堺環濠都市北部地区やベイエリアなど「堺」を感じられる場所の観光には、小回りがきく自転車が便利です。

ツアーの参加にはアプリが必要です。アプリをインストールしてツアーコード「14978」で検索してください。
アプリを利用すると、デジタルスタンプラリーやフォトブックなどが楽しめます。事故やケガに備えて100円で最大1億円の保険も加入できます。

堺市役所21階展望ロビー

大阪府堺市

堺市役所21階展望ロビーのイメージ

堺市役所の最上階(21階)で360度の展望が無料で楽しめる回廊ロビー

極楽橋

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極楽橋のイメージ

 極楽橋は宿屋町東と神明町東との境界付近の土居川に架けられていた石橋で、土居川の橋の中でも一番細工の美しい石橋でしたが、昭和40年代以降に阪神高速道路工事で土居川は埋め立てられ、橋は撤去されました。
 橋は堅い花崗岩で造られ、格狭間(こうざま)・欄干(らんかん)を備えた石橋としては珍しく、堺で最も古いものです。橋の名前は堺の町から王子ケ飢(おうじがうえ)墓地(現在は南区鉢ヶ峯寺の堺公園墓地に移転・統合)へと向う葬列が渡ったことから、死者の極楽往生を願ってつけられたといわれています。
 現在、元の場所に近い土居川公園に移築復元されています。

堺市立町家歴史館山口家住宅

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山口家住宅は、平成19年から文化財建造物としての整備を進め、平成21年から「堺市立町家歴史館 山口家住宅」として公開活用しています。
山口家住宅の主屋(おもや)は、慶長20年(1615)の大坂夏の陣の戦火により市街地が全焼した直後に建てられた、国内でも現存する数少ない江戸時代前期の町家のひとつとして重要文化財に指定されています。
敷地内には主屋の他に安永4年(1775)建築の西土蔵、寛政12年(1800)建築の北土蔵があります。

与謝野晶子歌碑(生家跡)

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「海こひし潮の遠鳴りかぞへつゝ少女(をとめ)となりし父母の家」
堺の旧市街地エリアを南北に走る大道筋沿いの生家跡にある歌碑。晶子の旧姓「鳳」にちなみ、鳳凰が羽を広げたようなデザインが特徴。
歌碑の上には、晶子が大好きだったアマリリスの花がデザインされています。

千利休屋敷跡

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千利休屋敷跡のイメージ

堺で生まれわび茶を大成した千利休。茶道千家の始祖であり、天下一の茶の湯者と称されました。屋敷跡には椿の井戸と利休ゆかりの大徳寺山門の古い部材で建てられた井戸屋形があります。
引用:堺観光ガイド

土居側公園 入口

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15世紀から16世紀にかけ、まさに世の中は戦国時代となりました。堺では、貿易で富を得た商人たちが町を守るため、西は海で他の三方には濠(ほり)をめぐらせ、外から敵が入れないようにしました。その濠が土居川の始まりです。しかしその後、日本を統一した豊臣秀吉は濠を埋めてしまいます。そして秀吉が死に、徳川の時代になった1615年、大坂夏の陣では豊臣方が火を放ち、堺は焼け野原となりました。徳川幕府はすぐに堺の町を復興し(元和の町割)、町の周りに濠をもう一度掘りなおしました。これが今の土居川で、元の土居川より外側に掘られています。川に「土居」という土の堤防を築いたというのが、土居川の名前の由来と言われています。昭和40年代のはじめに北側と東側は埋められ道路になりましたが、東側の道路に沿って約4ヘクタールの土居川公園が作られました。