西高野街道散歩・散走ツアーは、平安時代から鎌倉時代初期に開かれ、室町時代には荒野聖の納骨や庶民の参詣道となり、江戸時代には大阪、堺の町人の米・酒・錦など通商の幹線道として賑わった、歴史の道をお楽しみいただけるツアーです。
歩いてじっくり、自転車で爽快に、かつての街道を感じてください!
※アスマイルポイントの特典は2024年3月31日をもって終了いたしました。
ツアーの参加にはアプリが必要です。アプリをインストールしてツアーコード「19636」で検索してください。
アプリを利用すると、デジタルスタンプラリーやフォトブックなどが楽しめます。事故やケガに備えて100円で最大1億円の保険も加入できます。
大小路(晴明辻)
大阪府堺市
大道筋と大小路筋の交差する、別名「晴明辻」。摂津国阿倍野に生まれた陰陽師・安倍晴明がこの辻を通ったときに占い書きを埋めたそうで、ここで占いをすると必ず当たると言われています。
環濠都市堺の中心であり、竹内街道及び高野街道のスタート地点でもあります。
阪堺線の停留場もあり、100年以上堺を走る姿を見ることができます。
堺市役所展望ロビー
大阪府堺市
堺市役所の最上階(21F)で360度の展望が無料で楽しめる回廊ロビー。堺市内はもちろんのこと、百舌鳥古墳群や、生駒・金剛山などを一望できる。
十三里石
大阪府堺市
西高野街道最初の里石。この付近は竹内街道と西高野街道の分岐点となる。ここからほぼ1里ごとに13本の石碑が建立されていて、すべて現存している。
仁徳天皇陵古墳・茶山古墳
大阪府堺市
仁徳天皇陵古墳は、墳丘の全長約486メートル、高さ約35メートルという日本最大の前方後円墳。クフ王のピラミッド、秦の始皇帝陵とともに「世界三大墳墓」と呼ばれる。2019年世界遺産に登録(百舌鳥・古市古墳群)。
茶山古墳は、仁徳天皇陵古墳の後円部外側の第2堤上から三重濠に張り出す径56mの円墳。古墳名は秀吉が狩りをした時の陵上の仮居宅跡を、茶屋山と呼んだという「堺鑑」の記事に由来します。
仁徳天皇陵古墳・大安寺山古墳
大阪府堺市
仁徳天皇陵古墳は墳丘の全長約486メートル、高さ約35メートルという日本最大の前方後円墳。クフ王のピラミッド、秦の始皇帝陵とともに「世界三大墳墓」と呼ばれる。2019年世界遺産に登録(百舌鳥・古市古墳群)されています。
大安寺山古墳は仁徳天皇陵古墳の後円部外側の第2堤上から三重濠に張り出す径62m、高さ9.7mの円墳。古墳名は古くは大安寺の所有地だったことに由来し、別名「寺山」と呼ばれていたようです。
百舌鳥のくす(筒井家の楠)
大阪府堺市
戦国武将として名高い筒井順慶を祖先に持つ名家・筒井家の門前にある。大阪府指定の天然記念物で、樹齢は800~1,000年といわれる。
白鷺公園
大阪府堺市
昭和59年3月に開設した総合公園。公園内の南北を泉北高速鉄道が縦貫し、北側には但馬池を利用したハナショウブ園がある。
十二里石・関茶屋の街並
大阪府堺市
関茶屋という地名は、旅人が立ち寄る茶屋があったことが由来で、路傍にも地蔵堂などが多くみられ、昔ながらの街道筋という雰囲気が色濃く残る。
出雲大社大阪分祠
大阪府堺市
出雲大社からの分祠。大国主命に加え、分祠となる前から火之迦具槌神を主祭神としており、縁結び・悪因縁解除などにご利益があるとして有名である。
やまつ辻田
大阪府堺市
慶長年間に中国から渡ってきた唐辛子は、港町・堺にも伝播した。西高野街道沿いの農家でも、秋祭りの頃には庭一面の「たかの爪」が干されていたらしい。明治35年創業の唐辛子・和風香辛料の専門店で、「たかの爪」の原種を100年守り続けている。
十一里石・岩室
大阪府大阪狭山市
室とは山間の洞穴のことで、須恵器などを保管する蔵・倉庫のような役割を果たしていたと考えられる。陶器町の付近には須恵器生産にまつわる地名が数多く残るが、岩室もそのひとつといえる。
おわり坂
大阪府大阪狭山市
江戸時代後期の狭山池改修で働いた土木技術集団の「尾張衆」が坂の名前となったといわれる。西高野街道は生活輸送道路の側面もあり、急勾配の坂道で、荷物に「追われ」ながら坂を下りたり、上りきって「終わり!」と一息ついたのが由来とも。
狭山池博物館
大阪府大阪狭山市
1,400年の歴史を刻む日本最古のダム式ため池である狭山池と一体化した親水空間を有する土地開発史専門の博物館。建物内部に巨大な堤の断面を丸ごと移築展示するなど、特徴的な展示がなされる。安藤忠雄建物設計。