※本ツアーは開催前です。
いつもの見慣れた風景の中に、秘められた「和水(なごみ)町」の物語を掘り起こしていく。
スマートフォンを片手に、古代から近世へとつながる歴史ロマンの旅へ。
和水町を巡れば巡るほど、「ナルホド!」と声に出る発見が‼︎
古墳や神社、軍記物や戦国の城…。
古えから続く日本の「文化の鍵」を探し出し、歴史の扉を自ら開く体験を楽しもう。
ツアーの参加にはアプリが必要です。アプリをインストールしてツアーコード「29557」で検索してください。
アプリを利用すると、デジタルスタンプラリーやフォトブックなどが楽しめます。事故やケガに備えて100円で最大1億円の保険も加入できます。
①江田船山古墳
熊本県玉名市
江田船山古墳、教科書には必ず出てくる古墳です。
この古墳は明治6年、初夢に従った農夫によって発見されました。舟形墓室内からはおびただしい副葬品が見つかり、葬られた墓主の権勢を物語ります。
出土した92点に及ぶ国宝のうち、特筆するべきは銀象嵌銘大刀です。
5世紀において希少な鉄剣であり、刀身には75文字が銀で象嵌されています。問題はその内容ですが、文中にワカタケル王との記述があり、それは宋書倭国伝における倭王武と比定されています。
倭王武は南宋に対して、朝鮮半島の南部支配の承認を求めています。実際に中華人民共和国吉林省の広開土王碑において、倭国の進撃をここで食い止めたと碑文があります。
またワカタケル王の名は、埼玉県稲荷山古墳からの鉄剣にも刻まれいます。
ここまでの物証で、大和朝廷の統治範囲が関東から九州に及んだ、と教科書でも一般でも知られています。しかしながら、事実は不明瞭です。
ここで宋書倭国伝に続き、隋書倭国伝及び、旧唐書倭国伝を紐解きます。
隋書によれば、倭国は百済・新羅の南海にあり、30余国に分かれているといいます。
阿蘇という活火山が、火山弾や灰を噴き上げているので、倭国人はそれを畏れているとあります。実際に533年より阿蘇の火山活動が活発になったという、地質学上の証拠も発見されました。
そして隋の文帝の治世600年に、倭国より遣隋使が派遣されました。
倭国王は、字をタシリヒコとする男王であり、後宮には600人の宮女がいると、遣隋使は誇らしく言います。
ですがその年号ですと、日本国では推古天皇の御代なのです。女性天皇に、後宮の存在は考え難いです。
また日本の正史である日本書紀に、この遣隋使の記載はありません。
旧唐書によれば、もっと詳細です。
6世紀の日本には、「倭国」と「日本国」が存在しています。
倭国は、九州をほぼ統一した連合王権です。
しかもその倭国は、かつて邪馬台と呼ばれた女王国の後嬰、と明記されています。つまり邪馬台国はどこにあるのか論議は、既に解答が書かれていたのです。
古事記、日本書紀に、卑弥呼が登場しないのが納得できます。
そして日本国はその倭国から離脱した国家です。
日の昇る場所にあるとして大和で日本国を号した、と。この内容は日本書紀に同様のことが書かれています。
倭国は、九州をほぼ統一と書きました。
というのは九州内で唯一、狗奴国のみが抵抗していたのです。この狗奴国の位置ですが、熊本県北部地域の和水か南部の球磨地域か、意見が別れます。
狗奴国とは、卑弥呼の時代より、根深い対立があったと記録されています。
私は思うのです。
狗奴国王は、卑弥呼の血族と争った男王の血筋ではないかと。
そして周囲を倭国連合に囲まれた狗奴国が、同盟を結ぶならばどこか、と。
それは大和を中心とした日本国でしょう。日本は5世紀に、朝鮮半島をも席巻した軍事国家です。
あの鉄剣は、その同盟の誓約として贈られたものに思えます。
②塚坊主古墳
熊本県玉名市
③旧境家(肥後民家村)
熊本県玉名市
④肥後民家村 布施家
熊本県玉名市
⑤縄文の森
熊本県玉名市
⑥トンカラリン7段の階段
熊本県玉名郡
⑦若宮古墳
熊本県玉名郡
⑧竈門菅原神社
熊本県玉名郡
⑨目の神様(岩本宮)
熊本県玉名郡
⑩田中城ミュージアム
熊本県玉名郡
⑪和仁三兄弟(記念碑)
熊本県玉名郡和水町
⑫下岩官軍墓地
熊本県玉名郡
⑬西福寺跡地観音堂
熊本県玉名郡和水町
⑭榎原熊野座神社
熊本県玉名郡