※本ツアーは開催前です。

【お手軽編】東京駅の東側に広がる街は、多くの発祥の地があります。各路線への「起点」となる東京駅、そして五街道の起点となる日本橋。高層ビルが立ち並ぶこのエリアには、過去と現在、そして未来をつなぐ「橋」が多くあります。このツアーでは、東京駅からはじまるさんぽを楽しみながら、その土地の歴史を感じられる旅へとご案内します。
※ご参加の際は「ストーリー」の番号順にお楽しみください。途中の番号のスポットからはご利用いただけません。
※掲載している情報はすべて2025年12月現在のものです。
※掲載しているスポットは工事や臨時休業、その他の理由等により、大幅に変更されている、または予告なくご覧いただけなくなる場合があります。また、都合により予告なく終了予定日より前にツアーを終了する場合があります。
※詳細なスタンプ獲得位置は、トップ画面の「地図」にてご確認ください。
※GPSの読み込みに時間がかかる場合があります。
※スタンプが獲得できない場合、アプリを一度閉じる、スタンプ獲得位置で画面を再表示するなどお試しください。スタンプが獲得できないことに関して、一切の責任は負いかねます。
※スタンプの獲得に関するお問い合わせは、アプリ内「アプリについて」より「アプリについてのお問合せ」画面からお客さまのユーザーコードを入力のうえ、お問合せをお願いいたします。
※営業時間、入場可能時間、休業日などはご自身でご確認をお願いいたします。
※スポット間の移動時に公共交通機関を利用する際は、お客さまご自身のご負担となります。
※スポット間の移動時、道順の指定はありませんが、安全な通路をご利用いただき、お怪我、事故には十分にお気をつけください。
※歩きながらのスマートフォンのご使用は大変危険です。立ち止まってのご使用をお願いいたします。
ツアーの参加にはアプリが必要です。アプリをインストールしてツアーコード「54042」で検索してください。
アプリを利用すると、デジタルスタンプラリーやフォトブックなどが楽しめます。事故やケガに備えて100円で最大1億円の保険も加入できます。
「丸の内駅舎」 ドーム内の 8つの干支の彫刻
東京都千代田区

【スタンプは丸の内南口改札外のドーム付近で獲得できます。】
東京駅丸の内駅舎のある丸の内北口および丸の内南口改札外のドームの天井をご覧ください。
立体的な鷲型の彫刻のほか、干支の彫刻は、南北それぞれのドーム内にその干支の方位に従って十二支のうち八支の彫刻が配置されています。
ドーム内にない干支は、子(ねずみ/北)、卯(うさぎ/東)、午(うま/南)、酉(とり/西)です。
写真提供:一般社団法人東京ステーションシティ運営協議会
「なんと江戸城の石垣」 東京駅石碑
東京都千代田区

【スタンプは東京駅丸の内駅前広場の石碑付近で獲得できます。】
丸の内駅舎の外側中央にある「東京駅」と刻まれた石碑は多くの来訪者にとっての撮影スポットになっています。
この石碑を囲むように、正面玄関の「御車(みくるま)寄せ」があり、東京駅のシンボルの一つです。なお、この石碑の石は江戸城の石垣といわれています。
また、丸の内駅舎正面の道路を直進すると皇居ですが、実は完全に正対しておらず、駅舎が道路や広場に対して少しだけ斜めになっています。広場の足元に注目して歩くと、そのズレに気づくことができるかもしれません。
「高架鉄道のはじまりのひとつ」 呉服橋架道橋
東京都千代田区

日本最古級の高架区間のひとつである、東京駅~神田駅間。この区間に架けられた呉服橋架道橋は明治43年(1910年)に竣工した架道橋で、山手線などが走る線路に架けられています。
東京駅がまだなかった頃、上野駅と新橋駅の間にあるこの架道橋には呉服橋仮駅が設けられました。
今はその名残を見ることはできませんが、鉄製の柱にあしらわれた装飾が美しい姿を誇っています。山手線内にはその他にも東京駅~有楽町駅間の鍛冶橋架道橋など、柱に装飾がある架道橋がいくつかあります。ぜひ線路沿いを歩いてみて、お気に入りの装飾があしらわれた架道橋を探してみてはいかがでしょうか。
「日本橋川にかかる橋 一石橋」 迷子しらせ石標
東京都中央区

一石橋は日本橋川に架かる橋で、江戸時代においては、かつての江戸城外濠(外濠川)との分流点近くに位置します。当時は橋上からの眺めは素晴らしく、同橋を含め八つの橋を見渡すことができたことから「八つ見橋」や「八橋」と呼ばれました。
江戸後期になるとこの周辺は人々の往来の激しい繁華街となり、迷子(尋ね人)が多く出ました。当時、迷子は地元の町内で責任をもって保護し、親に引き渡すまで養育する必要があり、増え続ける迷子に苦慮した住民によって建てられたのが、この「一石橋迷子しらせ石標」です。その名の通り迷子の告知用の建造物であり、石標に人物の特徴を書いた紙を貼ることで、迷子を探している側と保護している側の情報交換手段として明治初期まで用いられました。
「日本の国道のはじまり」 日本橋 (日本国道路元標)
東京都中央区

【スタンプは「道路元標複製」付近で獲得できます。】
江戸幕府の開府と同じ年、慶長8年(1603年)に初めて架けられた日本橋は五街道の起点に定められ、日本の中心として、江戸と全国各地を結ぶ交通や物流の要所となりました。
付近は行き交う人々の往来で大変な賑わいを見せ、江戸繁栄の象徴となりました。明治時代以降は国道の起点として定められ、橋の中央には「日本国道路元標」の銅板が埋め込まれており、「元標の広場」でそのレプリカを見ることができます。初代の日本橋は木造でしたが、何度かの架け替えが行われ、現在架かっている橋は明治44年(1911年)に完成した石造2連アーチ橋です。
「日本橋魚河岸 発祥の地」 乙姫広場
東京都中央区

徳川家康の江戸入府の後、「龍宮城の住人である海の魚が、ことごとく日本橋に集まった」という意味を込めて、乙姫をイメージした像が置かれたことにより、この場所は乙姫広場と呼ばれています。大阪から佃島へ移り住んだ漁師たちが江戸近辺で漁業を行う許しを得て、徳川家に魚介類を献上しました。当時の江戸の海では魚介類がよく獲れたため、幕府の許可のもと、日々の上納から余った鮮魚を「板船」と呼ばれる販売用の板に乗せて一般に売り始めました。これが日本橋魚河岸のはじまりと言われています。
「八重洲」の地名の由来 ヤン・ヨーステン記念碑
東京都中央区

東京駅の八重洲側は新幹線や、高速バスなどが発着し、まさしく日本の玄関口、「起点」です。徳川家康に仕えたオランダ人朱印貿易家ヤン・ヨーステンという人物の名前が由来となっています。彼の日本名は「耶楊子(やようす)」といい、それが転じて、彼の屋敷のあった辺りが「八重洲」という地名になったといわれています。
「4代目」 東京駅 銀の鈴
東京都千代田区

【スタンプはB1F中央地下通路内SQUARE ZERO付近で獲得できます。】
「待ち合わせ」のシンボル、4代目銀の鈴は平成19年(2007年)に、東京駅が生まれ変わる「東京ステーションシティ」の誕生を機に設置されたものです。初代は昭和43年(1968年)、東海道新幹線乗換え改札前に誕生しました。当時の東京駅乗客助役が「待ち合わせ場所として、巨大な銀色の神社鈴をつり下げたらどうか」と提案し、実現したものです。現在の銀の鈴は毎時0分に鈴の音をイメージしたメロディが流れ、スマートフォンが普及した現在においても時間を伝える役目を担っています。
ご参加ありがとうございました。アンケートへの回答をどうぞよろしくお願いいたします。
https://forms.office.com/Pages/ResponsePage.aspx?id=kmkwshgXHE-NgeZQwGrQDETX4dOzLi1IpiMR_3xd5flURFVQSE1XWFVMUkJMUUpMNlBQT0JYTzYwUy4u

