長和町 おたや祭り2026【山車】巡りスタンプラリー

小県郡

※本ツアーは終了しました。

長和町 おたや祭り2026【山車】巡りスタンプラリーのイメージ

※ 「山車」場5か所を巡って、長和町特産品をゲットしよう!!
応募期間は終了しています。

※【ツアー開催期間】2026年1月14日15:00~2026年1月15日14:00

 長和町「古町豊受大神宮」(ふるまちとようけだいじんぐう)の例祭「おたや祭り」は地域に伝わる貴重な伝統文化として、1963年(昭和38年)に、長野県無形民俗文化財選択に指定されました。おたや祭りの起源については、江戸時代後期の1828年(文政11年)の文書が、現在のところもっとも古い記録として残されていますが、祭りはこれよりも遥かに古い時代から行われてきたと推測されています。
 
 祭りの期間中には、古町豊受大神宮の周辺5か所に町内5つの保存会が制作した山車飾りが奉納されます。
 山車の飾りは、おとぎ話や歴史的な場面などを題材としており、一般的な屋台式の山車ではなく、固定して飾られる点も特徴となっています。
 各場、趣向を凝らして創られた素朴な農民芸術をお楽しみください。

ツアーの参加にはアプリが必要です。アプリをインストールしてツアーコード「49817」で検索してください。
アプリを利用すると、デジタルスタンプラリーやフォトブックなどが楽しめます。事故やケガに備えて100円で最大1億円の保険も加入できます。

上宿 第1場

長野県小県郡

上宿 第1場のイメージ

【足柄山の金太郎 相撲の場】

 むかし、相模国(神奈川県)の足柄山に金太郎という元気な男の子がいました。金太郎は生まれた時から力が強く、七つ八つのころには、大人を相手に相撲を取っても負けませんでした。近所に相手がいなくなると、金太郎は森の中をかけまわり、山の動物たちと友達になりました。そして、その動物たちと相撲を取って遊んでいました。今日も相撲の稽古です。「はっけよい、のこった、のこった。」はじめに狸と熊が取り組んで、熊は狸をひょいと土俵の外へ投げ出します。「今度はぼくが相手だ。」と金太郎は言って、動物たちを次々と倒します。強い熊でも、金太郎にはかないません。みんなは「降参、降参、金太郎は強いなあ。」と言いました。それからみんなで、金太郎のお母さんが作ってくれたおむすびを食べて、帰っていきました。
 帰り道も遊びながら行くうちに、大きな谷川のふちへ出ました。あいにく橋はかかっていません。そこで金太郎は近くに立っている杉の木を押し倒して橋を作りました。みんなは大喜びで橋を渡っていきました。
 その後、強くて優しい金太郎は都へのぼって、坂田金時と名乗り、源頼光の家来になりました。立派なお侍になって、鬼も退治したそうです。

上中町 第2場

長野県小県郡

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【一寸法師 都へ旅立ちの場】

 むかしむかし、ある小さな村に仲の良いお爺さんとお婆さんが住んでおりました。
 二人には子供が無く、毎日、村の神様に「どうか子供が授かりますように」と二人でお参りした所、ある日お婆さんの親指がふくらんで小さな男の子が産まれました。二人はびっくり、これも神様のおかげ大事に育てようと話し合い、名前を一寸法師と名付け大切に育てましたが、一年、三年、十年たっても体が大きくなりません。そんなある日「都へ出て世の中を見て勉強したい」と言う一寸法師を心配しながらも「行っておいで」と送り出してくれました。
 その時お婆さんに貰った針を刀に、お爺さんに貰ったお椀を舟に箸で漕いで都に着きました。そして働く所を探していると大きなお屋敷を見つけて「私を働かせて下さい」と言うと、「そんな小さい体では」と言う主人に「私はなんでも出来ます」と言うと、主人は「めずらしい者だ」と雇ってくれました。その家には一人の姫がおりました。姫もことのほか一寸法師を気にいって、いつもそばにおいて遊び相手にしていました。 ある日、清水のお寺に行くと言う姫のお供をして出掛けると、赤鬼が姫を襲って来ました。お供の者達は皆逃げ、一寸法師と姫の二人になると「なんだこのチビは」と一寸法師を鬼は吞み込んでしまいました。おなかの中でお婆さんに貰った針の刀で、ところかまわずチクチクと刺すと鬼はたまらず一寸法師を吐き出し奥山へ逃げて行きました。その時に鬼が忘れて置いていった小槌をふると一寸法師はみるみる大きくなって、りっぱな若者になり姫と結ばれて、田舎からお爺さんとお婆さんを呼び、幸せに暮らしたというお話です。

中町 第3場

長野県小県郡

中町 第3場のイメージ

【望月の駒の場 ~若駒と姫生駒の悲恋~ 】

 昔、ある年の同じ日に、望月(現・佐久市望月)の殿様の館で一人の娘と見事な月毛(赤みのある葦毛)の駒が生まれた。殿様はたいそう喜んだ。娘は姫生駒と名付けられた。月毛の駒は立派な若駒に成長した。殿様とこの月毛の駒は数々の戦で勝利し、若駒は敵軍に恐れられる名馬となった。
 そして、娘も遠い都までも聞こえる美しい姫に成長した。都の高位の人たちが姫を嫁に召したく、館にたくさんの財宝を贈った。館は宝の山となった。
 しかし、その頃より月毛の元気が失せ、馬屋に伏すようになった。ただ、姫の姿を見ると嬉しそうに立ち上がるのであった。そう、月毛は生駒姫に恋をしてしまったのだ。姫もあまたの求婚を断り、「この地で月毛と生涯暮らしたい」と言った。殿様は憤慨し一計を案じた。「鐘が三度鳴るうちに領内を三周すれば姫を差し出す」と月毛に言った。月毛は颯のように駆け、鐘一つの間に二周までしてしまった。いま一息、鹿曲の谷を跳び越えようとしたその時、鳴るはずもない三つめの鐘が鳴った。月毛はその瞬間息が切れ谷底深く消え落ちた。ほくそ笑む殿様。しかし、月毛は殿様の策略を知ってか知らずか亡霊となってもなお、自軍の危機を救った。生駒姫は月毛の霊を弔うべく自ら黒髪を切り尼になってしまった。
 動物と人間の悲恋譚ではあるが、無機質な現代社会において、今この物語の姫や月毛の駒の心情に思いを寄せてみると、切なくも心は潤う。

<<2026年の山車の様子は当日をお楽しみに!!>>

下町・藤見町 第4場

長野県小県郡

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【笠地蔵 おじいさん お地蔵様に笠をかぶせるの場】

 とある雪国に心優しいおじいさんとおばあさんが暮らしていました。二人は貧しく明日は正月というのにお餅を買うお金もありませんでした。そこで笠を編んでそれを売ったお金でお餅を買おうと、おじいさんは町に出かけて行きました。しかし笠は売れず、日が暮れ、雪が降り風が吹き、吹雪になりました。
 おじいさんは笠を売る事をあきらめ、仕方なく帰途につきました。ふと道端に並んでいる六体のお地蔵様を見ると頭は雪で真っ白。「おうおう、さぞ寒かろう」おじいさんは頭の雪を払い落とし、笠をかぶせてあげました。おばあさんは笠が売れなかった事も怒らず、お地蔵様に笠をかぶせた話を聞いて「それは良い事をしましたね」と喜びました。
 その夜、眠っていた二人は「えっさこらさ、えっさこらさ」と重い物を運ぶような声で目を覚ましました。「いったい何だろう」二人がそっと戸を開けると、・・・何と沢山のお米や野菜が家の前に積まれています。驚く二人が辺りを見回すと遠くに六つの人影が見えます。それはおじいさんが笠をかぶせたお地蔵様達で、お礼に贈り物を持って来てくれたのでした。
 こうして二人は幸せな新年を迎え、それからもずっと幸せに暮らしたそうです。

桜町 第5場

長野県小県郡

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【『豊臣兄弟』 仇敵・明智光秀討伐「中国大返し」の場 】

 尾張(今の愛知県西部)中村の貧しい農村に百姓の子として生まれた小竹(のちの羽柴秀長、豊臣秀長)は、兄・藤吉郎(のちの羽柴秀吉、豊臣秀吉)に「小竹、俺の家来になれ」と請われ、武士としての生涯を歩み始めます。表に立つ兄を支えながら己の才を磨き続けた秀長は、やがて羽柴軍の補佐役としてその本領を発揮していきます。
 天正10年(1582年)6月3日夜半、備中(今の岡山県西部)高松城を水で囲む大規模な水攻めの最中、羽柴軍に衝撃の急報が届きます。明智光秀が謀反を起こし、主君・織田信長が本能寺にて討たれたという知らせでした。陣中が大きく揺れる中、秀長は声を荒らげることなく兵や諸将を落ち着かせ、事態を冷静に受け止めます。兄・秀吉の決断を支えたのは、秀長の確かな実務力でした。毛利方との和睦交渉を速やかにまとめ、戦を終結させると、直ちに軍勢を東へと転じます。兵站の手配、隊列の整備、諸将への根回し、・・・。その一つ一つを丁寧に積み重ね、昼夜を分かたぬ「中国大返し」を成功へと導きました。
 天正19年(1591年)1月、秀長は病没します。史上稀にみる名補佐役として、目立たずとも人を結び、争いを和らげ、全体を整える。秀長が生涯貫いたその姿勢は、分断が叫ばれる現代において、私たちが大切にすべき力を静かに教えてくれます。