※本ツアーは開催前です。
ツアーの参加にはアプリが必要です。アプリをインストールしてツアーコード「09533」で検索してください。
アプリを利用すると、デジタルスタンプラリーやフォトブックなどが楽しめます。事故やケガに備えて100円で最大1億円の保険も加入できます。
映画興行発祥の地
大阪府大阪市
●日本初の映画興行
明治30年(一八九七)、2月15日から28日まで、南地演舞場(現・東宝南街ビル)で映画が公開上映された。日本初の映画興行である。
フランスに留学した稲畑勝太郎(いなばたかつたろう)が、撮影と映写のできる機器(シネマトグラフ)を持ち帰り、上映を実現させた。この事実を知った東宝の創始者・小林一三(こばやしいちぞう)が、記念碑を残した。
この記念碑は、TOHOシネマズなんば1階エレベーター横の壁に残されている。TOHOシネマズなんばへ出かける際には、ぜひ注目してみてほしい。
波屋書房
大阪府大阪市
大正8年(1919年)創業、知る人ぞ知る老舗の料理書専門店
店内の約半分は料理本をはじめとする「食」に関する本で占められており、人気の料理雑誌から世界各国の食文化がわかる専門書、おせち料理、精進料理、韓国の宮廷料理のレシピ本など、珍しい「食」の本がそろっている。
また、藤沢桓夫を中心とした作家によってつくられた同人誌「辻馬車」ゆかりの書店で織田作之助など多くの作家が通っていた。創業者であり「大阪の竹下夢二」と称された画家の宇崎純一は、自身が描いた辻馬車の絵を本の包み紙にした。この辻馬車の絵は現在もブックカバーとして代々受け継がれている。
ワッハ上方
大阪府大阪市
●全国で唯一の『笑い』の資料館!
大阪府立上方演芸資料館は、上方演芸や喜劇の歴史と文化が学べる施設として、平成8(1996)年に誕生。一時休館を経て平成31(2019)年4月24日にリニューアルオープンしました。
「笑い」を大切にする大阪の文化にふさわしい芸能として発展してきた演芸・喜劇の魅力を伝える全国で唯一の「笑い」の資料館です。これまでに収集してきた資料は約6万点。過去に放送されたテレビ・ラジオの3,000本に及ぶ演芸番組の視聴とともに、上方演芸・上方喜劇に関する書籍を閲覧していただけます。
千日前道具屋筋 北詰
大阪府大阪市
喰いだおれの大阪を縁のしたで支えるプロ御用達の専門街。あらゆる厨房機器に食器、のれんや看板、食品サンプルなどの専門店がひしめく。大阪名物・タコ焼き器やお好み焼きのコテなどをお土産に選ぶ観光客も多い。
明治15年(1882年)に法善寺の千日前から四天王寺のお大師さんや十日戎で有名な今宮戎神社への参道として古道具屋や雑貨商が軒を連ねたのが始まりといわれている。
大正時代になり徐々に店舗が増え、問屋・製造業の専門店に変化し、現在の商店街へと発展していった。
道具屋筋の目印は大きな「道」の看板ですが、この看板の左横には大きな看板枠がある。実は道具屋筋には昭和から平成にかけて『千日前セントラル』という大きな映画館があり、この映画館は商店街からは少し外れた場所にありファンの間では穴場的な存在として重宝されていた。この大きな看板枠にはいつも手書きの映画看板が掛けられていた。
千日前道具屋筋 南詰
大阪府大阪市
喰いだおれの大阪を縁のしたで支えるプロ御用達の専門街。あらゆる厨房機器に食器、のれんや看板、食品サンプルなどの専門店がひしめく。大阪名物・タコ焼き器やお好み焼きのコテなどをお土産に選ぶ観光客も多い。
黒門市場
大阪府大阪市
大阪市の中心部、ミナミにある商店街「黒門市場」。
大阪の台所と呼ばれる黒門市場には食いだおれのまちにふさわしく全国から厳選された食材が豊富にそろっている。
はじまりは文政5年に市場の付近にあった圓明寺の山門で鮮魚商人が市を営み始めたことが起源となっている。山門が黒かったことから「黒門市場」と呼ばれるようになった。
夏のハモ、冬のフグが名物で、鮮魚店の1割ほどがフグ専門の看板を掲げているほどだ。
全長が約580メートルもあるアーケード下には約150店舗が並び、通りはいつも大勢の人々で賑わっている。頭上を見るとアーケードの屋根にはリアルで巨大なタコやふぐなどの天井飾りがある。また、一番南の十字路の天井には四神がデザインされておりこちらにも注目してみてほしい。
黒門市場
大阪府大阪市
大阪市の中心部、ミナミにある商店街「黒門市場」。
大阪の台所と呼ばれる黒門市場には食いだおれのまちにふさわしく全国から厳選された食材が豊富にそろっている。
はじまりは文政5年に市場の付近にあった圓明寺の山門で鮮魚商人が市を営み始めたことが起源となっている。山門が黒かったことから「黒門市場」と呼ばれるようになった。
夏のハモ、冬のフグが名物で、鮮魚店の1割ほどがフグ専門の看板を掲げているほどだ。
全長が約580メートルもあるアーケード下には約150店舗が並び、通りはいつも大勢の人々で賑わっている。頭上を見るとアーケードの屋根にはリアルで巨大なタコやふぐなどの天井飾りがある。また、一番南の十字路の天井には四神がデザインされておりこちらにも注目してみてほしい。
黒門市場
大阪府大阪市
大阪市の中心部、ミナミにある商店街「黒門市場」。
大阪の台所と呼ばれる黒門市場には食いだおれのまちにふさわしく全国から厳選された食材が豊富にそろっている。
はじまりは文政5年に市場の付近にあった圓明寺の山門で鮮魚商人が市を営み始めたことが起源となっている。山門が黒かったことから「黒門市場」と呼ばれるようになった。
夏のハモ、冬のフグが名物で、鮮魚店の1割ほどがフグ専門の看板を掲げているほどだ。
全長が約580メートルもあるアーケード下には約150店舗が並び、通りはいつも大勢の人々で賑わっている。頭上を見るとアーケードの屋根にはリアルで巨大なタコやふぐなどの天井飾りがある。また、一番南の十字路の天井には四神がデザインされておりこちらにも注目してみてほしい。
国立文楽劇場
大阪府大阪市
●「文楽」は人の名前から
成り立ちは江戸時代初期にさかのぼり、古くは操り浄瑠璃と呼ばれた。竹本義太夫(たけもとぎだゆう)が貞享元年(1684)、竹本座を開設。彼の義太夫節と近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)の『曽根崎心中』が大当たりし、この後いくつかの人形浄瑠璃座が盛衰を繰り返した。幕末、植村文楽軒(うえむらぶんらくけん)が大坂で始めた一座が大人気を博し、中心的な存在となった。やがて彼の名「文楽」が人形浄瑠璃の代名詞となったという。
●ユネスコ世界無形遺産に
文楽が世界でも類を見ない芸能であるのは、1体の人形を3人で操るところ。動きも相当複雑になり、きめ細やかで感情豊かな表現ができる。三味線の音に乗せて太夫がストーリー(義太夫節)を語り、人形遣いと一体となって舞台をつくる総合芸術。あくまで三味線、太夫、人形が同列・同格で一つの舞台をつくっていく。そこが文楽の最大の特徴だ。
平成16年(2004)、文楽は世界無形遺産に登録された。
●観劇とグルメのお楽しみ
昔の芝居小屋の雰囲気を残すこの建物は黒川紀章(くろかわきしょう)の設計で、昭和59年(1984)に開館。1階ロビーはフリースペースになっており、出入り自由。レストラン、展示室などがあり、レストランでは公演内容にちなんだ料理が楽しめる。例えば、『曽根崎心中』上演のときは、幕開きの場面が生玉神社であることから、昔、門前で名物だった「蓮飯(はすめし)」が用意された。
本公演以外にも、毎年6月には高校生を対象とした「鑑賞教室」、夏休みには親と子どもを対象とした「親子劇場」が催される。
贈従五位安井道頓安井道卜紀功碑
大阪府大阪市
●道頓・道卜の功績
道頓は大坂城築城工事に従事。秀吉(ひでよし)からその恩賞として荒地だった現在の道頓堀一帯を与えられた。道頓は道卜ら親戚と相談し、私財を投じて慶長17年(一六一二)開削工事に着手。2年後、大坂の陣が始まり、道頓は秀吉の恩義に報いるため西軍に味方するが、落城時に戦死。以降は道卜ら親戚が中心になり工事を続け、元和元年(一六一五)に完成した。当初は南堀川と呼ばれていたものを、初代大坂城主・松平忠明(まつだいらただあき)が道頓の功績をたたえ、道頓堀と命名した。大正3年(一九一四)、道頓・道卜は従五位を贈られた。これを記念し、翌年、地元の有志が道卜の屋敷があった場所に石碑を建立。
なお現在では、道頓は成安(なりやす)姓であったことが定説化している。
●街の繁栄
道卜は道頓堀近辺の繁栄のため、寛永3年(一六二六)に、南船場より芝居小屋を誘致した。浪花五座といわれた「弁天座」「朝日座」「角座」「中座」「竹本座(のちの浪花座)」では連日歌舞伎が上演され、人形浄瑠璃の「竹本座」や「豊竹座」が人気を競い合った。芝居見物に大勢の人が集まったので、茶屋など飲食店も軒を連ねて街は賑
わい、「ミナミ」は「キタ」より早く歓楽街としての姿を見せていたようである。
石畳と福寿堂秀信宗右衛門町店
大阪府大阪市
昭和23年、大阪宗右衛門町で創業。
当時、南地宗右衛門町は大変格式の高い花街であり、舞踊や浄瑠璃文楽、茶華道の師範や一流料亭をはじめとして、そこは洗練された浪花文化の土地柄であった。そのなかで福壽堂秀信は、季を尊び、素材を選び、手の技を鍛えることを旨とし、本当に美味しい和菓子を作り出すために精進してきた。
相合橋
大阪府大阪市
●別名「縁切り橋」
江戸時代初期(一六八〇年代)に架けられた。「相合」という艶のある名前をもちながら、「縁切り橋」とも呼ばれ、婚礼の行事ではこの橋を渡らなかったという。なにわ名橋50選の一つ。
相合橋筋商店街
大阪府大阪市
相合橋を渡った先にあるアーケード付きの商店街
老舗純喫茶の本店や親しみやすい飲食店が軒を並べておりゆっくりとしたどこか懐かしい時間が流れている
南乃福寿弁財天/上方ビル
大阪府大阪市
上方ビルは以前、上方旅館という歌舞伎役者や噺家に贔屓にされた旅館であった。
現在このビルの敷地には芸能の神様、南乃福寿弁財天が祀られている。
ミナミの文化の発展を願い桂米朝や桂春団治など有志によって建立されたもので、ビルの中にあるは千日山弘昌寺は千日前でお坊さんが常駐する唯一のお寺となっている。
千日前商店街
大阪府大阪市
風格のある瓦屋根のエントランスをくぐれば、マスコットキャラクター「みにゃみん」がお出迎え。大阪のええもん、うまいもんをナビゲート。大阪にしかない名物ラーメンやたこ焼き、めぐりが楽しめる。
法善寺
大阪府大阪市
●横丁のシンボル 水かけ不動
「水かけ不動」の名で親しまれている、法善寺の西向不動尊。そもそもは、お供え物を持ち合わせていなかった参拝客が、思わず水をかけて手を合わせたのが始まりだと伝えられている。それ以来「水かけ不動」として有名になった。苔に包まれてすっかりきれいな緑色になったお不動さんの姿を見れば、たくさんの人たちが水をかけて願いをこめてきた歴史の長さが偲ばれる。「水をかけて、願もかける。語呂合わせですが、そういう意味もこめられています」(法善寺の住職談) すぐそばに、大阪を代表する作家、織田作之助(おださくのすけ)の『夫婦善哉』に登場する店がある。
●「千日前」の由来はこの寺から
法善寺の宗旨は浄土宗で、寛永14年(一六三七)の創建。千日念仏が行われた寺ということから古くより「千日寺」の通称で呼ばれ、「千日寺の前」という意味で、このあたりの地名を「千日前」と呼ぶようになったらしい。昭和20年(一九四五)の大阪大空襲では本堂が焼け落ちてしまったが、本尊の阿弥陀仏は運び出されて難を逃れた。水かけ不動も無事、戦災をくぐりぬけて今に至る。
●爆発と出火、苦難乗り越えた人情
法善寺横丁では、平成14年(二〇〇二)9月にガス爆発による類焼、続く翌年4月には火災が起こり、多くの店が焼失した。そのとき法善寺では、ゆかりのある芸人やアーティストによる落語会やコンサートを開いて、横丁建て直しの気運を盛りたてた。その甲斐もあって、平成16年(二〇〇四)3月には被災したすべての店が営業再開を果たすことに成功。「おおきに、人情を」。横丁を救ったのは、この合言葉に象徴される横丁を愛する人たちの温かい支援だったのだ。
法善寺横丁
大阪府大阪市
水かけ不動が有名な法善寺、緑の苔に包まれたお不動さんは長い間人々が願いを込めてお水をかけた歴史そのもの。この一角には石畳の静かなたたずまいの横丁があります。もともと法善寺の境内にあった興行小屋や露店が常設され、市街地となり、できあがった飲食店街、「法善寺横丁」。かつては特ににぎやかだった法善寺裏の路地は極楽小路と呼ばれ、戦時中に小説家の長谷川幸延が「法善寺横町」(書名は「横丁」ではない)を発表したことで、このあたりが法善寺横丁と呼ばれるようになった。
道頓堀商店街 / 千日前商店街
大阪府大阪市
・解説文
●道頓堀の東の玄関口
堺筋でバスを降りて、道頓堀のゲートをくぐれば、ここからミナミが始まります。おでんやうどん、ラーメン、カニ専門店などミナミの老舗飲食店、カラオケ店や競馬の場外券売場など、地元の人がよく利用するまち。
●食いだおれとネオンの街
大阪ミナミのメインストリート。歌舞伎の劇場があり、かつては大阪のブロードウェイとも呼ばれていた。うどん屋・たこ焼き店やお好み焼き店が多く、粉ものめぐりも楽しめる。中国語・韓国語表記でのメニューを置いてある店も多い。
太左衛門橋
大阪府大阪市
太左衛門橋の名は橋の門で歌舞伎小屋を開いた大阪太左衛門に由来するといわれている。
江戸時代から宗右衛門町と芝居町、道頓堀を繋いでいた木の橋で、織田作之助の小説「女の橋」「船場の娘」「大阪の女」という3部作ではこの橋が作品の重要な場面に登場する。
大阪大空襲で橋は焼失しましたが終戦後に地元の人々の手で木造の橋が作られた。その後、鉄筋の橋に架け替えられ平成の改修で木を基調とした趣のある現在の橋の姿となった。
宗右衛門町 石畳
大阪府大阪市
宗右衛門町は道頓堀川の北側、戎橋から日本橋までの東西約500mの通り。
江戸時代から道頓堀の芝居客でにぎわう遊興の町で、宗右衛門町は最も格式の高い花街であった。昭和半ばに花街はバーやキャバレーに代わり、ミナミを代表する繁華街の1つとなった。
2013年3月には宗右衛門町通り全区間の「電線地中化」「石畳の美装化」の整備工事が完了した。空を覆っていた電線や電柱がなくなり街の空が明るく見えるようになった。また、グレーのアスファルトから黄色系の風合いのある「石畳」になったことで明るく広い道へと変貌を遂げた。この「電線地中化」の実現は多くの行政、土木・建設工事等に携わる関係者より、「実現すれば奇跡的、表彰ものだ」と度々言われていた。3年~4年という期間で無事完成することができたのは行政や米性企業体による努力の賜物と言えるだろう。
戎橋
大阪府大阪市
南西にグリコの看板があり写真スポットとしても人気な戎橋。1日平均20万人(休日は35万人)ほどが通行していると言われている。
今からおよそ400年前、道頓堀川の開削とほぼ同時期に町民の手によってかけられた。
橋名は「商売繁盛」を祈る今宮戎への参道であったことが由来だといわれている。
江戸時代の一時期、戎橋周辺には元禄歌舞伎や人形浄瑠璃の芝居小屋があったことで「操(あやつり)橋」と呼ばれた時期もあった。また、幕末期には江戸幕府が「戎」という外国人を蔑む言葉の使用を禁じたため一時的に永成橋と改名されたが、結局人々に定着せず戎橋と呼ばれ続けた。
戎橋は13回にわたる改修工事や架け替えが行われている。明治11年(1878年)には木橋から鉄橋へ、大正14年(1925年)には耐震化のために石・コンクリートの橋へと架け替えられた。現在の橋は平成19年にかけられたもので、橋の欄干や階段の部分にはお好み焼きのコテがずらりと並びミナミらしい遊び心を感じられるデザインとなっている。
御堂筋アンダーパスギャラリー
大阪府大阪市
道頓堀川沿いに設けられた遊歩道「とんぼりリバーウォーク」は道頓堀橋の下をくぐることができる。当初はこの場所では橋桁と水面の桁下クリアランスが2メートル少ししか確保できず、法律で定められた最低限の基準2.5メートルをクリアできず、空間的にも制約があった。これに対して地元の意向や水都の会(水都大阪を考える会)の尽力と大阪市の決断により、遊歩道を水面よりも下げる工法を採用することでこの課題を乗り越えた。
道頓堀橋の区間が長いために空間を明るくし有効活用するためギャラリーも設置され、現在このギャラリーには大阪市中央区役所の取り組みにより南側には「中央区魅力発信パネル(道頓堀)」を30枚、北側には「中央区魅力発信パネル(船場)」を30枚設置されている。
道頓堀人情 歌碑
大阪府大阪市
ミナミの象徴、戎橋の遊歩道横に天童よしみ「道頓堀(とんぼり)人情」の歌碑がある。
「道頓堀人情」は若山かほるが作詞、山田年秋が作曲した楽曲で1985年12月16日に販売された。NHKの『NHK紅白歌合戦』では第51回(2000年)、第59回(2008年)、第68回(2017年)の計3回歌唱されている。
この曲は道頓堀を舞台にした楽曲で大阪人の意気地や気概、人情とやさしさなど「大阪魂」の象徴であるとして、地元有志により制作された。左側にあるボタンを押すとその場で天童よしみの迫力ある歌声を楽しむことができる。
戎橋筋商店街
大阪府大阪市
戎橋筋は難波駅の駅前から道頓堀川にかかる戎橋までの南北およそ370mの道筋。
戎橋の南側は今宮戎神社の参道として、また道頓堀の門前の町としてにぎわい、その道筋が商店街として発展した。老舗の名店はもちろん最新のファッション、グルメ、アミューズメントなど様々な分野のお店が立ち並ぶ大阪の代表的な商店街の1つ。
戎橋筋商店街
大阪府大阪市
ミナミのシンボル「戎橋」から大型百貨店を結ぶ370メートルのビッグ・ストリート。老舗の豚まんやスイーツ、ユニークな大阪土産、映画館や劇場、最先端のファッションまでがオモチャ箱のように点在する。
カフェストリート
大阪府大阪市
カフェストリートは、御堂筋と戎橋筋商店街を結ぶ石畳の通りで、なんばマルイの北側にある。かつて多くの喫茶店が立ち並び、にぎわっていた通りは喫茶店や映画館の閉店などに伴い活気を失っていた。しかしもう一度活気を取り戻すために「精華正門通り協議会」を結成。2006年9月、電線を地中化し地面には天然の石畳を敷き詰めたおしゃれな「カフェストリート」が誕生した。「夜のカフェテラス」(ゴッホ作)から着想を得たそうだ。電線を地中化したことで日差しが差し込み、夜には星空が広がっている。
御堂筋ほこみち(拡張遊歩道)
大阪府大阪市
大阪市では御堂筋を車中心から人中心の道路へと空間再編に取り組んでおり、側道歩行者空間化により創出した空間で公民連携によるにぎわい創出を進めている。
歩行者利便増進道路(通称)ほこみちでは2021年12月の1か月間、社会実験を実施された。 既に歩道が拡げられたモデル整備区間では、若手デザイナーによる滞在空間と、シェアサイクル「HUBchari」のポートを設置。バナー広告やデジタルサイネージによる広告協賛を原資とした展開を検証。大阪メトロらと共同でウィズコロナ時代の公共空間をめざし、AIカメラによる密回避を可能とする技術開発や、周辺商店街への誘客を図るデータマネジメントを実践された。
難波駅前広場 (ゴール)
大阪府大阪市
なんば駅前広場は大阪市内を南北に縦断する御堂筋の終点で、道頓堀や千日前、日本橋へとつながる3つの商店街の起点でもあり大阪ミナミの玄関口としても有名な場所。また、新大阪駅、関西国際空港など多くの国内外からの来街者が行き来する場所でもある。
喫煙スペースが設置されている小広場以外は、タクシーやバスの停留所などのロータリーとして利用されていた。しかし2008年、駅前広間の大半を車両が占めていることや歩道が狭く放置自転車が多いなど時代にそぐわない課題を改善するために車中心から人中心の空間へと再編されることになった。歩道を拡幅することで歩行者の安全性を向上させ、歩行者専用空間拡大による憩いの場の創出を目指している。2025年大阪万博までに(一部の駅前広場部分は2023年に)完成を目標に取り組んでいる。