紀州街道散走ツアー(五街道散走ツアー)

堺市

紀州街道散走ツアー(五街道散走ツアー)のイメージ

堺の五街道の一つ。江戸時代に紀州と泉州の交易ルートとして堺では重要な役割をもち、高麗橋を起点に堺・大道筋から浜寺石津、浜寺公園を経て和歌山に至る経路は参勤交代の大名や商人で賑わいました。
歴史に富む紀州街道を散歩するように、自転車でゆっくり散走観光しませんか。

※アスマイルポイントの特典は2024年3月31日をもって終了いたしました。

ツアーの参加にはアプリが必要です。アプリをインストールしてツアーコード「98585」で検索してください。
アプリを利用すると、デジタルスタンプラリーやフォトブックなどが楽しめます。事故やケガに備えて100円で最大1億円の保険も加入できます。

大和橋・阪堺大和川橋梁

大阪府堺市

大和橋・阪堺大和川橋梁のイメージ

現在の大和川の下流部は江戸時代の中期に付け替えられ、大和橋はその時に紀州街道に架けられた橋。現在の橋梁は昭和49年に架け替えられたもの。
阪堺大和川橋梁は明治44年堺までの開通時に架橋。阪堺電車は100年以上の歴史を持つ大阪に唯一現存する路面電車。

風間寺

大阪府堺市

風間寺のイメージ

大阪夏の陣で焼失した堺のまちを元和に再興した奉行「風間六右衛門」を供養したのが始まり。六右衛門は町割りに際し、特定の宗派に優遇したとの汚名を着せられ、幕府からの江戸の呼び出しを受け、堺のまちを出た当地で自刃した。

綾ノ町停留場

大阪府堺市

綾ノ町停留場のイメージ

第2次世界大戦で3度目の大火に見舞われた堺のまちを、戦災復興区画整理事業により大道筋を50mに拡幅。当停留場付近には、第2次世界大戦による焼失を免れた建物群が現存し、町屋等の景観整備が進められている。

堺伝匠館

大阪府堺市

堺伝匠館のイメージ

堺の伝統産業を一堂に集めた施設。刃物、線香、注染和晒、緞通、昆布、自転車、和菓子などの体験・学習・展示コーナー、堺の逸品、名産品を販売するショップ、堺刃物ミュージアムなど堺の伝統産業に触れることができる。

ザビエル公園

大阪府堺市

ザビエル公園のイメージ

1550年堺に来たイエズス会宣教師フランシスコ・ザビエル。手厚くもてなした豪商日比屋了慶の屋敷跡につくられ、来航400年を記念してザビエル公園と呼ばれるようになった。(正式な公園名は戎公園)

大小路交差点(晴明辻)

大阪府堺市

大小路交差点(晴明辻)のイメージ

大道筋と大小路筋の交差する、別名「晴明辻」。摂津国阿倍野に生まれた陰陽師・安倍晴明がこの辻を通ったときに占い書きを埋めたそうで、ここで占いをすると必ず当たると言われています。
環濠都市堺の中心であり、竹内街道及び高野街道のスタート地点でもあります。
阪堺線の停留場もあり、100年以上堺を走る姿を見ることができます。

さかい利晶の杜 ・宿院停留場

大阪府堺市

さかい利晶の杜 ・宿院停留場のイメージ

堺が生んだ茶の湯の大成者「千利休」と、日本近代文学を切り拓いた歌人「与謝野晶子」の生涯や人物像などを通じて、堺の歴史・文化の魅力を発信する文化観光施設。千利休屋敷跡や与謝野晶子生家跡の近傍である当地に建設された。
一階ロビーには阪堺電車の大浜支線が、宿院で阪堺線から分岐する姿がジオラマで再現されている。

御陵前交差点 (環濠南詰)

大阪府堺市

御陵前交差点 (環濠南詰)のイメージ

環濠の南詰にあたる地点であり、ふるさとの川として整備された土居川が、環濠の名残をとどめています。当地から南側では、紀州街道が昔の幅員に狭まっています。環濠沿いの御陵通りの桜と阪堺電車の撮影スポットにもなっています。

船待神社

大阪府堺市

船待神社のイメージ

長保3年(1001)菅原道真公の子孫がこの他に来て、祖先の残した旧跡を調査、官に願い出て道真公を合祀し、船待天神社と改称。御祭神は天穂日命・菅原道真を主神とし、末社に琴平神社・春日神社・豊倉稲荷神社・瘡神社等を配祀している。

旧湊郵便局

大阪府堺市

旧湊郵便局のイメージ

紀州街道沿いに建つ旧郵便局舎。昭和50年頃に新郵便局完成に伴い、役割を終えた。昭和8年の建築。

石津太神社

大阪府堺市

石津太神社のイメージ

17世紀中頃に建てられたという本殿2殿、馬道が二つある拝殿、市内最古のひとつ一の鳥居、二の鳥居は市指定有形文化財。都市部の緑豊かな歴史的空間で、12月の火渡りの神事「やっさいほっさい」が有名。

北畠顕家戦死の碑・ 太陽橋

大阪府堺市

北畠顕家戦死の碑・ 太陽橋のイメージ

北畠親房の子で、鎌倉末期から南北朝時代の武将北畠顕家が、延元3年(1338年)に「堺浦の戦い」で戦死した地で、慰霊碑が建つ。
太陽橋は石津川に架かる橋で、石津川橋梁を渡る阪堺電車の撮影スポットにもなっている。

旧諏訪ノ森駅舎

大阪府堺市

旧諏訪ノ森駅舎のイメージ

開業当初の建物が大正8年移設、現在の48㎡程の西駅舎が建てられた。海岸の様子が描かれた明かり取り窓のステンドグラス、小さな待ち合い空間など大正ロマンが感じられる、登録有形文化財。連続立体化で曳家され、地域で活用中である。

与謝野晶子歌碑 (浜寺公園)

大阪府堺市

与謝野晶子歌碑 (浜寺公園)のイメージ

浜寺公園は、1900年に堺出身の歌人与謝野晶子と夫鉄幹がめぐりあった寿命館があった地。このことに因み、晶子がふるさとを想い詠んだ歌の碑が建てられている。

惜松碑(浜寺公園)

大阪府堺市

惜松碑(浜寺公園)のイメージ

1873年に大久保利通が訪れた際に、歴史に名高い松林の伐採を嘆き、保存を説いたことから、太政官布達により日本最初の都市公園の一つとして浜寺公園が開設。このことに因み、利通が詠んだ歌が石碑に刻まれている。

旧浜寺公園駅舎

大阪府堺市

旧浜寺公園駅舎のイメージ

中央公会堂や東京駅を手がけた辰野金吾博士が所属した事務所の設計です。柱や梁が幾何学的デザインで美しく、学術的評価も高く、国の登録有形文化財にも指定されています。連続立体事業に伴い曳家移転され、地域で活用中です。