南海沿線ツアー第5弾②(井原里駅~泉佐野駅)

大阪府

※本ツアーは開催前です。

南海沿線ツアー第5弾②(井原里駅~泉佐野駅)のイメージ

南海沿線ツアー第5弾、南海電鉄の南海線井原里駅から泉佐野駅をぶらり巡るツアーを、南海電鉄、泉佐野市、一般社団法人泉佐野シティプロモーション推進協議会、KIXツーリズムビューロで共同企画しました。
すべてのスタンプを獲得されアンケートを記入された方に、「がんばった賞」として先着100名様限定で南海電鉄クリアファイル1枚(めでたいでんしゃ)と南海ロゴ入り1色フリクションをセットでプレゼントします。さらに、大阪府民の健康をサポートするアプリ「アスマイル」のイベント参加ポイント(500ポイント)も獲得できます。「がんばった賞」及び「アスマイルイベント参加ポイント」は、泉佐野駅すぐの【いずみさのまち処】で受け取ることが可能です(お一人様一回限り)。ゆっくり歩かれるも良し、自転車で散走されるのも良し、是非南海沿線の観光をご堪能ください。

南海沿線ツアー第5弾②に関する問い合わせ先

南海コールセンター
050-3090-2608 (8:00~21:00)

ツアーの参加にはアプリが必要です。アプリをインストールしてツアーコード「28144」で検索してください。
アプリを利用すると、デジタルスタンプラリーやフォトブックなどが楽しめます。事故やケガに備えて100円で最大1億円の保険も加入できます。

井原里駅

大阪府泉佐野市

井原里駅のイメージ

鶴原駅と泉佐野駅の間には、鶴原地区のほか下瓦屋、湊、中庄、上瓦屋などに古くからの住区があり、ワイヤーロープなど鋼線関係の工場が点在していたこともあって、昭和27年(1952)4月、両駅の中間に開業しました。山手の上瓦屋地区が昔、井原庄と呼ばれていたところから駅名に採用されました。中庄にある奈加美神社は平安時代初期の創建と伝えられ、旧社名は大宮神社でしたが、中庄の「な」上瓦屋の「か」湊の「み」を取って三町合同の願いをこめて現在の名前になったといいます。本殿は華麗な彩色の三間社流造で大阪府の指定文化財となっています。

泉州磐船神社(航空神社)

大阪府泉佐野市

泉州磐船神社(航空神社)のイメージ

航空や渡航に関する安全を祈願する神社として、関西国際空港建設を機に、1983(昭和58)年12月10日に創建された比較的新しい神社です。プロペラが付いている鳥居が印象的な大空の守護、旅の守護のご利益があるとされております。大阪府交野市の磐船神社より分霊され、御祭神は饒速日命(ニギハヤヒノミコト)。飛行機は「落ちない」として、カード型の受験のお守りや絵馬などが人気です。例大祭では、茶室 飛雲庵でお茶席が開かれることも。併設の航空資料館では約4000点の航空に関する資料、展示物を無料で見ることができます。

Rizumieこーたり~な

大阪府泉佐野市

Rizumieこーたり~なのイメージ

地域住民(消費者)との交流を図るため、2004年4月にオープンした、農産物直売所です。ここでは地場産を中心とした新鮮野菜、農産加工品、夏から秋にかけては泉州特産の水茄子が所狭しと並びます。 定休日は毎週木曜日

歴史館いずみさの

大阪府泉佐野市

歴史館いずみさののイメージ

「歴史館いずみさの」は、日根荘をテーマとした歴史・民俗・工芸・美術を総合的に取り扱う歴史博物館です。関西国際空港の開港からまもない平成8(1996)年に開館し、すでに四半世紀が経過しました。泉佐野市は西日本の国際的な玄関口ですが、大阪市、大阪の近郊にあって豊かな自然と歴史に恵まれています。いまから数百年前、この地は有力貴族であった九条家の荘園「日根荘」でした。奇跡的に残された絵図や領主の日記などには、日々暮らす村人が活写され、登場する寺社やため池・用水、集落などは、今も地域で守られています。

泉州タオル館

大阪府泉佐野市

泉州タオル館のイメージ

泉州タオル館(泉佐野市立地場産業支援センター)は、もとは「大阪府立産業技術総合研究所泉佐野技術センター」として昭和31年より繊維製品の製造業を中心に、技術相談・指導、商品開発・研究及び試験等、技術の高度化に向けた技術的支援を行っていました。利用者人数の減少及び大阪府に支援体制の見直しにより、平成20年4月1日に大阪府から泉佐野市に無償譲渡され、「泉佐野市立地場産業支援センター」としてリニューアルオープンしました。そんな泉州タオル館は、地元関係企業に対し、従来の「タオル」をはじめとする繊維製品の研究開発・技術支援を図るだけでなく、『地元小中学生の児童・生徒が地場産業への認識を深めることができる拠点』『地域ブランド開発商品の情報発信の拠点』として、さらに『「タオル業界」だけではなくあらゆる産業の起業家をめざす人やNPO法人等の活動の拠点』を目指しています。

上善寺

大阪府泉佐野市

上善寺のイメージ

浄土宗知恩院末寺。室町時代の末期に開祖されたが、もとは上善山(現在の佐野中付近)にあったが海賊被害が多発したために現在地へ移転。現在の本堂は天和3年(1683)のもので庫裏の立派さは京都の寺院にも引けを取らないと言われている境内にある丈六の阿弥陀如来坐像(泉州大仏黒仏)、水掛観音、三十三か所観音堂はそれぞれのご利益がある。

泉佐野ふるさと町屋館

大阪府泉佐野市

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江戸時代には漁業、廻船業、さらに綿織物業などにより独自の町人文化を開花させた、佐野町場。ふるさと町屋館はその江戸時代中期、二代目新川喜内が醬油業を営むために建てた町屋で、当時の泉南地域の建築様式をいまに伝える貴重な文化財です。

いろは蔵

大阪府泉佐野市

いろは蔵のイメージ

江戸時代の初期(五代将軍の綱吉の頃)食野家が中心となり点在していた蔵を整理して海岸端に直線道路を新設。数十棟の蔵が立ち並ぶ壮観な風情をいろは四十八文字になぞらえ、「いろは蔵」と呼ばれた。但し、今は当時の面影はほとんどない。

食野家邸宅跡

大阪府泉佐野市

食野家邸宅跡のイメージ

食野(めしの)家邸宅跡は、江戸時代に北前船や廻船業で財をなした豪商食野家の本宅跡です。現在もその跡地の一部は、第一小学校の敷地として残っています。 小学校が開校した当初は、まだ食野家邸宅の建物の一部が小学校の校舎として利用されていました。現在は、もうその建物は残っていませんが、学校前に「食野宅跡碑」と当時の井戸枠が設置され、解説板でその面影を伝えています。また正門を入ってすぐのところにある松は、食野家の松だと伝えられています。食野家は江戸時代の長者番付では鴻池、三井と並び称され、同じく泉佐野を拠点とする唐金家・矢倉家と「食野一統」を形成。井原西鶴の「日本永代蔵」にも登場、落語「莨(たばこ)の火」 や佐野くどきの音頭になるほどで、今も本宅跡のある「佐野町場」は北前船の船主集 落として、独特の町並みが味わえます。

泉佐野駅

大阪府泉佐野市

泉佐野駅のイメージ

南海鉄道が堺~佐野(現・泉佐野)間を開通した明治30年(1897)10月に開業しました。昭和40年(1965)10月に当社で唯一の地下駅舎に改造。南海本線(泉佐野市)連続立体交差事業によって、平成14年(2002)5月に上りホーム、平成17年(2005)11月に下りホームを高架化にしました。美しい渓谷が“大阪みどりの百選”に選定されている「犬鳴山」へは駅前からバスに乗車。通称・犬鳴山不動尊と呼ばれる「七宝瀧寺」や、関西国際空港から最も近い温泉とされる「犬鳴山温泉」などがあります。