江戸三十六見附ウォーク第3回 呉服橋門から田安門まで歩こう

千代田区

江戸三十六見附ウォーク第3回 呉服橋門から田安門まで歩こうのイメージ

「江戸三十六見附ウォーク」
江戸城を中心に巨大な城郭都市をなしていた江戸。江戸城の安全を見張るために街道の分岐点など交通の要所に36ヶ所の見附(見張り場所)が「の」の字を描き設置され、江戸城を護っていました。「江戸三十六見附ウォーク」は浅草橋駅から江戸城跡まで4回に分けて今も残る御門や見附跡を巡ります。

第3回のこのコースは、呉服橋門から田安門の歩行距離約7kmのコースです。途中、周辺の史跡や名所にも立ち寄りながら楽しく巡っていただけます。

本ツアーは現在、無料でご利用いただけます。

ツアーの参加にはアプリが必要です。アプリをインストールしてツアーコード「13284」で検索してください。
アプリを利用すると、デジタルスタンプラリーやフォトブックなどが楽しめます。事故やケガに備えて100円で最大1億円の保険も加入できます。

東京メトロ大手町駅 サンケイビル出口

東京都千代田区

東京メトロ大手町駅 サンケイビル出口のイメージ

東京メトロ複数路線と都営地下鉄三田線の駅です。JR東京駅に比較的近く、多数の路線が乗り入れており、東京の地下鉄の中心的存在の駅の一つでもあります。各路線の駅をつなぎ合わせるとアルファベットの「P」のような配置になっており、左下から時計回りに三田線・千代田線・半蔵門線・丸ノ内線・東西線の順に並んでいます。半蔵門線の駅が開業した当時は「日本一の地下鉄駅」としてNHKのニュース番組などでも取り上げられました。
大手町は日本経済の中心地として超高層ビルが多く建てられ、丸ノ内とならび日本屈指のオフィス街を形成しています。そのため住宅地がほとんど無く、住民登録人口は2019年の段階で2人しかいません。

※スタンプは「駅前の広場」付近で獲得できます。

北町奉行所跡

東京都千代田区

北町奉行所跡のイメージ

北町奉行所は、江戸時代はじめ常盤橋御門内に置かれていましたが、文化3年(1806)に呉服橋御門内移りました。現在の呉服橋交差点の南西、東京駅日本橋口周辺に当たります。発掘された敷地北東部の溝から角を削り面取りした石が出土し、屋敷の鬼門・艮(北東)の方角を護る呪術的な意味があるといわれています。
また「遠山の金さん」のモデル、遠山左衛門尉景元が働いた場所がこの北町奉行です。また忠臣蔵の悪役として歴史に名を残した吉良上野介の屋敷も、本所に移転する前はこの北町奉行所の地にありました。

呉服橋門位置

東京都千代田区

呉服橋門位置のイメージ

呉服橋門は寛永6年(1629)に陸奥国または出羽国の大名によって枡形門が築かれました。そして、門に付属する橋である呉服橋が架けられました。外濠通りと交差する永代通りを少し入った所に呉服橋門の枡形がありました。呉服橋と呼ぶのは呉服町へ出る門に架かるためで、また寛永(1624~43)頃に後藤橋と呼んだのは門外に呉服師の後藤家の屋敷があったためとしています。なお、外堀が昭和29年(1954)頃から埋め立てられたため、呉服橋も含めて外堀沿いの橋は次第に姿を消していきました。

一石橋

東京都中央区

一石橋のイメージ

一石橋は、江戸時代初期に日本橋川に架けられた橋です。橋名の由来としては、北橋詰め近くの本両替町に幕府金座御用の後藤庄三郎、南橋詰近くの呉服町には、幕府御用呉服所の後藤縫殿助の屋敷があり、後藤をもじって五斗、五斗+五斗で一石と名付けたと「江戸砂子」に見え、日本橋地区と神田地区を結ぶ橋として重要でした。皇居(旧江戸城)外濠(外濠川)と日本橋川の分岐点に架橋され、日本橋川に架かる橋では最も低い橋です。一石橋に立てば、八つの橋が同時に眺望できることから、「八つ見のはし」とも呼ばれ、歌川広重の「名所江戸百景」の中で描かれています。

※スタンプは「一石橋迷子しらせ石標」付近で獲得できます。

常盤橋門

東京都中央区

常盤橋門のイメージ

常盤橋門は、江戸城外郭の正門にあたる重要な門で、石垣が現存し、国の史跡となっています。大正はじめまで外郭唯一の枡形門として残っていましたが、関東大震災で相当の被害を受け、その後修復整備され現在は常盤橋公園となりました。櫓台等の一部の石垣が残っています。常盤橋門は外郭門では数少ない当時の石垣が残っている見付跡となっています。門の創設は慶長年間に遡り、現在見られる枡形石垣は寛永6 年(1629)に奥羽の大名によって築造されます。そして、寛永13年(1636)の江戸城築城の総仕上げとしての江戸城外堀普請の時に、常盤橋門周辺の堀石垣が福井藩主・松平忠昌によって築かれました。

※現在常盤橋門跡は東日本の震災により復旧工事が行われています。工事は令和2年3月31日までの予定です。掲載写真は常盤橋のものになります。※

※スタンプは「防災船着場」付近で獲得できます。

金座跡(現・日本銀行本店)

東京都中央区

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金座跡には現在、日本銀行本店が建てられています。「金座」は、江戸時代に幕府から金貨の鋳造を独占的に請け負った組織のことです。「金座」は明治2年(1869年)造幣局に吸収され廃止されました。日本銀行は明治15年(1882)に永代橋のたもとで開業し、明治29年(1896)に本店を現在の場所に移しました。その際に建てられた本館は、日本人建築家(辰野金吾)による最初の国家的近代建築といわれ、国の重要文化財に指定されています。日本銀行本店では、事前予約が必要な一般見学(約60分)と、予約不要の当日見学(12:45~、約30分)を行っています。詳細は、日本銀行ホームページをご覧ください。
◆日本銀行ホームページ https://www.boj.or.jp/
◆日本銀行本店見学予約サイト https://www5.revn.jp/bojtour/

※スタンプは「本館と貨幣博物館の間(歩道)」付近で獲得できます。

龍閑橋跡

東京都千代田区

龍閑橋跡のイメージ

龍閑橋は大正15年(1926)に造られた日本最初の鉄筋コンクリートトラスの橋です。現在はこの場所にその一部が保存されています。もともと、神田の堀に架けられていた龍閑橋は、堀を埋め立てることで必要なくなりました。同じころこの付近に開かれた新しい川に、いらなくなった橋をそのまま架けたのが、現在の龍閑橋の地名の由来となっています。まだ無名だったその新川は、橋の名前にちなんで「龍閑川」と名付けられました。今は無き龍閑川は、その昔神田と日本橋の両区を分割するものでした。

鎌倉河岸跡

東京都千代田区

鎌倉河岸跡のイメージ

かつてこの辺りには鎌倉河岸があり、豊島屋十右衛門という酒屋で売り出す雛まつり用の白酒が有名でした。この店も戦災までこの河岸にありましたが、今は神田に移っています。大正18年(1590)家康入国頃の初期この河岸は、魚、青物のような生産食品をはじめ材木、茅などの物資の集まる所でありました。江戸城築城の時鎌倉から石材を荷揚げしたのでこの名がついたともいわれます。
またここにかかる鎌倉橋は、平成19年(2007)に千代田区景観まちづくり重要物件に指定されました。

神田橋門位置

東京都千代田区

神田橋門位置のイメージ

昔は「芝崎口」という名でしたが、門内に土井大炊頭利勝の屋敷があったので、「大炊殿橋(おおいどのばし)」と呼ばれるようになり、その後「神田橋門」に改められました。枡形の完成は寛永6年(1629)で、下野真岡藩主稲葉正勝によって構築されました。特にこの門は、将軍が寛永寺や東照宮に行くための御成道に位置するために、その警備は重要でした。明治5年(1872)に門は取り壊されましたが、現在こちらでは神田橋門が取り壊された際、地中から出土した石が残っています。

一ツ橋門位置

東京都千代田区

一ツ橋門位置のイメージ

一ツ橋門は陸奥国または出羽国の大名によって寛永6年に築かれました。古くから丸太1本の橋があったことに由来して一ツ橋と呼びます。一ツ橋を渡った東側に一ツ橋門の枡形の石垣が残されており、それがこの位置になります。八代将軍吉宗次男の宗武(北の丸西・田安門)、三男宗尹(一ツ橋門)、9代家重の二男重好(北の丸東・清水門)の御三卿の家名はそれぞれの見附門から名付けられました。御三卿は将軍家に世継ぎがなく、御三家(尾張・紀伊・水戸)にも将軍家となりうる該当者がいない場合に、将軍を送り込める家柄のことです。

一ツ橋徳川家屋敷跡

東京都千代田区

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かつての江戸城一橋門内、現在の丸紅本社ビルから気象庁、大手町合同庁舎付近に至る広大な敷地面積を誇っていたのが一橋徳川家の屋敷です。一橋徳川家は寛保元年(1741)、徳川八代将軍・吉宗が子の宗尹に一橋門内に屋敷を与えたことに始まり、のち田安家、清水家と共に御三卿の一つに数えられました。御三卿は、直属の家臣団を持たず、石高10万石を与えられていたといわれています。徳川十一代将軍・家斉や十五代将軍・慶喜は、それぞれ一橋徳川家の二世と九世(慶喜は水戸家から一橋家に養子に入りました。)にあたります。

※一橋徳川家屋敷跡を管理丸紅東京本社ビルが屋敷跡を含めて現在工事中です。工事は令和2年10月31日となっております。※

平川門

東京都千代田区

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平川門は江戸城三ノ丸の正門です。門の造りは枡形門になっています。旧平川の流路と下平川村があったことで名付けられました。御三卿(田安・清水・一橋家)の登城口であり、江戸城大奥の通用門から御局(おつぼね)御門とも別名で呼ばれていました。また、平川門は江戸城の鬼門にあたり不浄門とも呼ばれた忌門で、城内での罪人・遺体・病人・下肥をこの門から送り出していました。罪人としてこの不浄門を利用した人物の中には、忠臣蔵として知られる「浅野内匠頭長矩」などいます。松の廊下で刃傷沙汰を起こした後、式服の大紋を脱いで、平川門から切腹場所となった芝田村町の一関藩屋敷に向かいました。

雉子橋門位置

東京都千代田区

雉子橋門位置のイメージ

雉子橋門は陸奥国または出羽国の大名によって寛永6年(1629)に築かれました。家康が朝鮮の来聘使を饗応するために雉子を囲った鳥小屋の所在から門名の由来です。日本橋川の最上流にある雉子橋門は、内堀と外堀が最も接近する場所にありました。ですから雉子橋御門は特に厳しい警備がなされていたといいます。雉子橋門の渡櫓は明治6年(1873)に撤去され、その後明治36年(1903)に鉄橋に架け替えられましたが、関東大震災で被災してしまいました。大正14年(1925)に現在の橋に架け替えられました。
外堀の城門はここで最後になります。

清水門

東京都千代田区

清水門のイメージ

清水門の創建年代は不明とされていますが、元和6年(1620)には既に存在したとの記録があり、現在の門は明暦3年(1657)に起きた、明暦の大火後の万治元年(1658)に再建されたものと考えられています。江戸時代中期以降分立した「徳川御三卿」の、そのうちの田安家と清水家の上屋敷が、ここ北の丸に置かれました。清水門の名前の由来は3つほどあり、御三卿の清水家が北の丸公園の東側にあったことから清水門と名がついたものと、この辺りに清水が湧き出ていた、また古くはこの辺りに清水寺があったことから、その名をとって清水門と称したというものです。清水門は江戸時代の姿がそのまま残っている、舗装もされていない、石で土止めしただけの「雁木坂」が残っているのも見どころの一つです。

蕃書調所跡

東京都千代田区

蕃書調所跡のイメージ

蕃書というのはいわゆる洋書のことで、蕃書調所は江戸幕府によって設立された幕府直轄の洋学研究教育機関です。嘉永6年(1853)のペリー来航以後、蘭学にとどまらない洋学研究の必要性を痛感した江戸幕府は、洋式軍事技術導入や外交上の要請から、当時の老中・阿部正弘のもとで開設が計画されました。創設にあたっては、官学最高の地位にあった儒学者の林大学頭から横やりが入り、「野蕃」の字がつけられたといわれています。

昭和館

東京都千代田区

昭和館のイメージ

国民が経験した戦中・戦後(昭和10年頃~昭和30年頃)の国民生活上の労苦についての歴史的資料や情報を収集、保存、展示し、その労苦を次世代に伝えることを目的として、平成11年(1999)に設立された国立の施設です。
常設展示室(有料)では、当時の実物資料や写真から戦中・戦後の人々の暮らしやその労苦を知ることができます。
また、図書室(無料)や映像・音響室(無料)ではタッチパネル式の検索コーナーで自ら当時の資料を調べることもできます。
春と夏には特別企画展を開催しています。

田安門

東京都千代田区

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田安門は昭和36年(1961)に「旧江戸城田安門」として国の重要文化財(建造物)に指定されました。江戸城の総構えが完成した当時から残る唯一の遺構でもあります。この門は北の丸の築造とともに設けられたといわれているので、慶長年間には既にありました。しかし枡形は元和6年(1620)に陸奥・出羽の大名によって築かれ、その後、寛永6年(1629)に修築されています。門名の由来ですが、もともとこのあたりは「田安口」または「飯田口」ともいい、上州方面への道が通じていたといわれており、田安明神(現在の築土神社)があったことから田安門と名づけられました。門ができて、江戸城内になってからは北の丸となり、代官屋敷や大奥に仕えた女性の隠遁所となりました。千姫や春日局、徳川家康の側室で水戸頼房の准母英勝院の屋敷などもこの内にありました。

九段坂公園

東京都千代田区

九段坂公園のイメージ

靖国神社の向いにある小さな公園ですが、高燈篭や大山巖の銅像や品川弥二郎の銅像があり、見所はたくさんあります。この周辺の一帯は桜の名所であり、この公園内も開花時期は大変賑わいます。高燈篭は明治4年(1871)に靖国神社(当時は東京招魂社)の献灯として建てられたもので、当時は現在の靖国神社側にありましたが、道路改修により現在地へ移されました。当時九段坂の上からは、遠く筑波山や房総の山々まで見渡すことができたので、品川沖を行きかう船にとっては灯台の役目も果たしていました。

※スタンプは「公衆トイレ」付近で獲得できます。

千鳥ヶ淵公園・緑道

東京都千代田区

千鳥ヶ淵公園・緑道のイメージ

千代田区が管理している公園です。南北約450m、東西約20mと細長い形をしており、また半蔵門公園と呼ばれることもあります。1919年(大正8年)に明治期の市区改正事業の一環として開園しました。内堀に沿って整備された700メートルに及ぶ豊かな緑に囲まれた遊歩道が特徴です。東京でも有数のお花見スポットでもあり、3月下旬から4月上旬にかけて美しい桜が咲き、花見客でにぎわいます。夜にはイルミネーションが施され、またレンタルボートでお堀からも桜を望むことができます。

※スタンプは「パークマンション千鳥ヶ淵」を目印に園内の歩道付近で獲得できます。
※マンション敷地内の立入はご遠慮ください。

東京メトロ九段下駅

東京都千代田区

東京メトロ九段下駅のイメージ

九段下駅は、東京都千代田区にある、東京地下鉄(東京メトロ)・東京都交通局(都営地下鉄)の駅です。九段下駅(くだんしたえき)は、東京都千代田区にある、東京地下鉄(東京メトロ)・東京都交通局(都営地下鉄)の駅であります。駅名の由来は、昔この地を走っていた都電9系統が、九段坂下に九段下電停を設置したことによります。九段下駅周辺の代表的な周辺スポットは、靖国神社、昭和館、武道館などです。

※スタンプは「九段下駅出入口(2番出口)」付近で獲得できます。