★タイムトリップおおさか・船場

大阪市

★タイムトリップおおさか・船場のイメージ

1960年代後半、大阪国際万国博覧会(大阪万博)の開催に向けて大阪の都市は大きく変化しました。特に大阪市の船場地域では、船場センタービル建設を伴う築港深江線の大工事などこの時期にまちの姿が様変わりしました。このツアーでは、各スポットで1970年頃にタイムトリップ、当時の付近の様子を写真や動画を交えてご案内します。

ツアーの参加にはアプリが必要です。アプリをインストールしてツアーコード「97305」で検索してください。
アプリを利用すると、デジタルスタンプラリーやフォトブックなどが楽しめます。事故やケガに備えて100円で最大1億円の保険も加入できます。

大阪市中央区役所

大阪府大阪市中央区

大阪市中央区役所のイメージ

▶タイムトリップ!中央区役所◀
>>>>>大阪万博の頃は学校でした

1970年大阪万博が開催された頃、この場所には大阪市立東高等学校の校舎がありました。
東高等学校は、1923年「大阪市立東区女学校」として開校、戦後の学制改革により男女共学の「東高等学校」へ移行した長い歴史のある学校です。

1979年に校舎が都島区へ移転、旧校舎跡はのちに東区と南区が合区し中央区となった区役所の庁舎が建てられました。

万博開催を前に、学校のすぐ目の前では築港深江線や、世界でも類を見ない道路と一体化の建築物である船場センタービルの建設が進行中でした。当時の生徒たちは、新しい時代の変化を日々肌で感じて過ごしていたのではないでしょうか。

区役所敷地の北西角の緑地には、この歴史を記念した「大阪市立東高等女学校・東高等学校記念碑」が設置されています。

大阪メトロ 堺筋本町駅

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大阪メトロ 堺筋本町駅のイメージ

▶タイムトリップ!堺筋本町駅◀
>>>>>大阪万博の開幕と共にスタートしました

1970年の大阪万博を機に、大阪市内の交通インフラも大きく発展しました。
地下鉄堺筋線は1969年に開業。この路線に1970年3月15日、大阪万博開幕の日に「堺筋本町駅」が開業しました。この駅は堺筋線・中央線の連絡駅、万博会場へスムーズにアクセスする交通手段として機能しました。

大阪・関西万博に向けて大阪メトロの「地下空間の大規模改革」が堺筋本町駅でも行われます。コンセプトは『船場文化』。和風モダンで歴史をベースに未来へと飛躍する船場が力強く表現されます。

堺筋本町駅は次の万博においても夢洲会場へのアクセスの要所として多くの人々に利用されることが期待されています。

※下記の映像「大阪市ニュース:完成する地下鉄網」(1969年)では、大阪万博を前に御堂筋線の延伸や中央線や堺筋線との連携のために急ピッチで工事が進行している様子などがご覧いただけます。
※動画が表示されていない場合でも、「YouTubeで動画を見る」を押していただくことで動画をご覧いただけます。

船場センタービル(spot:6号館)

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船場センタービル(spot:6号館)のイメージ

▶タイプトリップ!船場センタービル◀
>>>>>大阪万博の年に開業しました

船場センタービルは1970年、大阪万博の年に開業しました。

大阪市の中心部を東西に貫く「中央大通」の真ん中にそびえる全長約930mのビル。上部に一般道と阪神高速道路の計12車線が走り、地下には地下鉄路線が交差。世界でも類をみない構造の建設物として大きな注目を集めました。

2015年の外壁改修によりビルの外観を一新。繊維の街をイメージした「織物」がモチーフのアルミパネルで覆われた現在の外観となりました。

下記の動画「大阪市ニュース:待望の中央大通完成まぢか」では、完成を目前に控えた船場センタービルの工事風景や館内のオフィス、店舗などが紹介がれています。このニュース映像からも新しい船場のはじまりと船場センタービルへの期待が伺えます。

※動画が表示されていない場合でも、「YouTubeで動画を見る」を押していただくことで動画をご覧いただけます。

大阪メトロ 本町駅

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大阪メトロ 本町駅のイメージ

▶タイムトリップ!本町駅◀
>>>>>大阪万博の前に3路線の連絡駅に

本町駅は、1933年に大阪の地下鉄で最初に開業した駅の一つとして誕生しました。

1969年に中央線本町駅が完成し、これを機に御堂筋線、四つ橋線、中央線の3つの「本町駅」が連絡する総合駅となりました。大阪万博の開催を前に本町駅は大阪の交通の要として発展。多くの人々の足としてその役割を果たしてきました。

そして現在、大阪関西万博に向けて大阪メトロの「地下空間の大規模改革」が本町駅でも行われます。本町駅は『インターセクション』として大阪を代表する2路線が交わり大阪・関西万博とその先の未来をつくることがコンセプトとなっています。

※下記の動画「大阪市ニュース:完成近づく築港深江線」では、1960年代に着々と工事が進む築港深江線と船場センタービル、地下を走る地下鉄の様子が描かれています。
※動画が表示されていない場合でも、「YouTubeで動画を見る」を押していただくことで動画をご覧いただけます。

御堂筋(spot:博労町3交差点)

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▶タイムトリップ!御堂筋◀
>>>>>大阪万博の年に一方通行になりました

もともと御堂筋は双方向の通行でした。高度成長期となり自動車が激増し交通問題が深刻になったことから「幹線道路の一方通行化」が提案され、大阪万博開催2か月前の1970年1月、南向きの一方通行に切り替えられました。

御堂筋が誕生は昭和初期。当時は6m程の幅しかない道路で、これを44mに拡幅し南北約4kmの大幹線道路をつくるという構想に市民は「市長は船場の真ん中に飛行場でもつくる気か」と驚いたそうです。

様々な困難がありながらも着工から11年かけて御堂筋は完成。大阪を象徴するメインストリートとなりました。

近年になり自動車交通量は40年前の5割近くに減少。社会の変化に応じて御堂筋では「車中心から人中心」の道路へと空間の再編が進められています。2025年の大阪・関西万博までに側道の歩道化を目指し現在各所で工事が進行しています。

下記の映像「大阪市ニュース:愛称で呼んでください 道路と地下鉄道 」(1967年)では、『御堂筋』のような愛称を各幹線道路や地下鉄路線につけたことが紹介されています。まだ対面通行をしていた御堂筋や大阪各所の道路や地下鉄内の様子がお楽しみいただけます。

※動画が表示されていない場合でも、「YouTubeで動画を見る」を押していただくことで動画をご覧いただけます。

心斎橋

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心斎橋のイメージ

▶タイムトリップ!心斎橋◀
>>>>>大阪万博の頃は歩道橋でした

「心斎橋」は、大阪を代表する繁華街のひとつとして知られていますが、元は江戸時代に長堀川に架けられた橋の名称です。この橋は当初木橋でしたが、明治の初めに鉄橋となりました(その鉄橋は鶴見緑地公園に移設され「緑地西橋」として現存しています)。

明治の終わりに鉄橋から架け替えられた石橋は、2連アーチの石造りと西洋風の美しい装飾で、川面に映るガス灯と共に長く親しまれました。

1960年代、自動車の増加から長堀川は埋め立てられ道路になります。川の埋め立てにより心斎橋の石橋は撤去されましたが、1964年に歩道橋として復活した際、地元の人々の強い要望で欄干やガス灯などが再利用されました。1989年公開の映画「ブラック・レイン」にはこの歩道橋が登場しています。

1997年クリスタ長堀の完成とともに歩道橋は廃止となり、石橋の一部がガス灯と共に復元されて現在の姿となっています。

クリスタ長堀(spot:クリスタ長堀 月見の広場)

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クリスタ長堀(spot:クリスタ長堀 月見の広場)のイメージ

▶タイムトリップ!クリスタ長堀◀
>>>>>大阪万博の頃は地下駐車場でした

長堀通は、もともと江戸時代に開拓された長堀川でした。戦後の車社会の到来とともに水上輸送の衰退が進み、川を埋め立てて地下式の公共駐車場を設置。地上部は都市計画道路として整備されることとなりました。1970年の大阪万博の前年、駐車場は全面的にオープンしました。船場地区には商用車が多く、駐車の需要は高まっていました。

1997年、地下鉄長堀鶴見緑地線の全線開業とほぼ時を同じくして、「クリスタ長堀」が開業。心斎橋駅、長堀橋駅、四ツ橋駅を直結する地下街として、日本最大級となり話題を呼びました。

長堀橋(spot:長堀跡記念碑)

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▶タイムトリップ!長堀橋◀
>>>>>大阪万博の頃は歩道橋でした

かつて存在した「長堀川」は長さ約2500m、幅員30~40m、東横堀川と木津川を結び船場や島之内の商業、経済の中心水路として大阪の繁栄を支えた川でした。

昭和半ば、長堀川は東西の幹線道路の確保のため埋め立てが決まり1963年に橋が撤去されました。川の埋め立て後に設置された歩道橋はクリスタ長堀の建設時に撤去され、現在の横断歩道となりました。長堀橋交差点の北東角には橋の記念碑が設置されています。

南久宝寺町(spot:南久宝寺町の歴史の碑)

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南久宝寺町(spot:南久宝寺町の歴史の碑)のイメージ

▶タイムトリップ!南久宝寺町◀
>>>>>大阪万博の年にアーケードができました

南久宝寺町は、江戸時代から特に小間物商の集まる町として知られ、大変栄えていました。1945年の大阪大空襲で大きな被害を受けましたが、戦後再び多くの商人が集まります。高度成長期にかけて一大問屋街として大きく発展しました。1970年には船場で唯一の「歩道アーケード」が完成しました。

2020年、アーケードは老朽化などのため撤去され、街は新たな姿を見せています。南久宝寺1交差点の南西角に、この街の歴史を伝える「南久寶寺町の歴史」碑が設置されています。