★タイムトリップおおさか・ミナミ

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1960年代後半、大阪国際万国博覧会(大阪万博)の開催に向けて大阪の都市は大きく変化しました。大阪ミナミでも地下街の開業や鉄道の開通、道路の拡張などこの時期にさまざまな出来事がありました。

このツアーでは各スポットで1970年頃にタイムトリップ、当時の付近の様子を写真や動画を交えてご案内します。

ツアーの参加にはアプリが必要です。アプリをインストールしてツアーコード「44018」で検索してください。
アプリを利用すると、デジタルスタンプラリーやフォトブックなどが楽しめます。事故やケガに備えて100円で最大1億円の保険も加入できます。

なんば広場(仮称)

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▶タイムトリップ!なんば広場(仮称)◀
>>>>>大阪万博の後に駅の大改造がスタート

大阪万博から2年後の1972年、南海なんば駅では約8年間の大規模な改造が始まりました。この期間中に地下街「なんばCITY」が開業しました。

なんば駅は御堂筋の南の終点にあり、複数の鉄道路線が乗り入れる巨大ターミナル。古くから『ミナミの玄関口』の役割を担ってきました。

このなんば駅の駅前では、2008年頃から混み合う駅前空間を改善しようと地元発の取り組みが始まりました。2023年11月に「なんば広場(仮称)」が完成 します。2025年3月には事業全体が完成しミナミに人を中心とした新たなシンボル空間が生まれる予定です。

下記の動画『2021年「なんばひろば改造計画」の記録』では、工事着工前の駅前風景や社会実験の様子、そして未来に向かう広場のイメージをご覧いただけます。
(youtube動画:© 2021 なんば広場マネジメント法人設立準備委員会)

※動画が表示されていない場合でも、「YouTubeで動画を見る」を押していただくことで動画をご覧いただけます。

なんばパークス(spot:難波御蔵・難波新川跡)

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なんばパークス(spot:難波御蔵・難波新川跡)のイメージ

▶タイムトリップ!なんばパークス◀
>>>>>大阪万博の頃は大阪球場でした

現在なんばパークスのある場所には大阪スタヂアム・通称大阪球場がありました。

万博当時はプロ野球の南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)の本拠地で、1970年は野村克也氏がコーチ兼監督に就任、チームを2位に導いた年でもありました。

往年の南海ホークスや大阪球場の姿は、なんばパークス9階の「南海ホークスメモリアルギャラリー」にて展示品や映像で鑑賞することができます。

江戸時代のこの場所は米蔵(難波御蔵:なんばおくら)でした。明治に蔵が解体され煙草工場となります。工場は空襲で焼失、跡地に建設されたのが大阪球場です。

難波御蔵には道頓堀川から蔵まで米を運ぶ水路「難波新川」(なんばしんかわ)がありました。水路の跡地に通っているのが阪神高速1号線(環状線)で、万博前の1967年に完成しました。

※下記の動画「大阪市ニュース: ”繁栄への道” 環状につながったハイウェー」(1967年)では、開通当時の阪神高速1号線がご覧いただけます。開通式や街の風景、神官がオープンカーでパレードする貴重なシーンも。1分34秒頃に大阪球場周辺を通る景色が映ります。
※動画が表示されていない場合でも、「YouTubeで動画を見る」を押していただくことで動画をご覧いただけます。

千日前道具屋筋商店街(spot:商店街南詰)

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▶タイムトリップ!道具屋筋商店街◀
>>>>>大阪万博の年にアーケードが完成しました

道具屋筋の起源は明治の初め。千日前から四天王寺や今宮戎神社への参道として栄えた道筋に沿って古道具屋や雑貨商が軒を連ねたのが道具屋筋の始まりといわれます。

大阪万博開催をきっかけにアーケードが建設されて現在の商店街の姿になりました。全長150mの街に約70店が軒を連ねる全国でも珍しい「食の道具の専門店街」として知られ国内外から多くの客が訪れています。

道具屋筋南詰のすぐ前の通りは、なんば駅前から道具屋筋、日本橋をつなぐ「なんさん通り」です。この道筋では「なんば広場(仮称)」に続き広場化が進行中で大阪・関西万博開幕までに回遊しやすいゆとりある空間が広がる予定です。

高島屋東別館

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▶タイムトリップ!高島屋東別館◀
>>>>>大阪万博の前に松坂屋から高島屋に

昭和のはじめ松坂屋により建てられましたが大阪万博前の1966年に松坂屋が天満橋に移転、後に高島屋東別館となりました。

上記の画像は松坂屋の開業当時のもの。改修を重ねながらも外観はほぼ元の姿が守られてきました。2021年その歴史的価値が評価され国の重要文化財に指定されました。

1970年に同館内に開館した高島屋史料館では、高島屋の貴重な収蔵品と共に高島屋大阪店・東別館の精緻なジオラマを鑑賞することができます。

日本橋(spot:日本橋顕彰碑)

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▶タイムトリップ!日本橋◀
>>>>>大阪万博の前年までに橋を架け替えました

地下鉄堺筋線は1969年に動物園前~天神橋筋六丁目間が開業しました。

堺筋線が通る川の工事は沈埋工法(川底に掘った穴に箱型のトンネルを沈めて埋める)で行われました。上の画像は橋の中央からトンネルを入れる様子です。日本橋はこのときに橋を架け替え現在の姿になりました。

江戸時代の日本橋は道頓堀川唯一の公儀橋で紀州街道に続く重要な橋でした。橋詰には旧橋の面影を残そうという地元の声から旧橋の親柱が保存されています。

※下記の動画「大阪市ニュース:変わりゆく市民の足」では、役目を終える市電や新たな足となる地下鉄とその工事状況を紹介。2分過ぎから日本橋の沈埋工事の様子をご覧になれます。
※動画が表示されていない場合でも、「YouTubeで動画を見る」を押していただくことで動画をご覧いただけます。

千日前通(spot:ビッグカメラ前)

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▶タイプトリップ!千日前通◀
>>>>>大阪万博開幕時に地下街・地下鉄・私鉄が開業

1970年3月。大阪万博の開幕が迫るなか、千日前通の難波~日本橋間の地下では重要な開業が相次ぎました。

まず6日に「虹のまち(1期)」がオープン、翌週11日には地下鉄千日前線が桜川‐谷町九丁目間で運行を開始。そしてその週末、開幕日の15日には近鉄難波駅‐上本町駅間が運行を開始したのです。

一方の地上部では、地下に先立ち5月に従来の倍の幅となる泉尾今里線(千日前通)が完成。頭上を走る阪神高速(高津‐湊町)はその2年後の1972年に開通しました。

「千日前」は江戸時代から長い歴史を持つ地名です。万博の前にこの名前が地下鉄路線と道路の愛称に決まりました。千日前は大阪万博を機にとりわけ大きく変化したエリアでした。

※下記の動画「大阪市ニュース:伸びる地下鉄」(1968)では、大阪万博までの完成を目指して進む様々な路線の工事と共に、4号線(千日前線)で行われた工事の模様もご覧いただけます。
※動画が表示されていない場合でも、「YouTubeで動画を見る」を押していただくことで動画をご覧いただけます。

なんばウォーク(spot:くじらパーク)

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▶タイムトリップ!なんばウォーク◀
>>>>>大阪万博開幕9日前に「虹のまち」開業

千日前通りの地下に「虹のまち」(現なんばウォーク)第1期が誕生しました。翌1971年に第2期が完成し全面開業、日本最大規模の地下街となりました。

キラキラ輝く光の広場、美しい水の広場、鳥もいる緑の広場、300を超える店舗など”東洋一の地下ショッピングモール”と大きな注目を集めました。

「虹のまち」は関西国際空港が開港した1994年にリニューアル、愛称も一新し「なんばウォーク」となりました。全長715m、大阪・ミナミを代表する地下街のひとつとして現在も賑わっています。

※下記の動画「大阪市ニュース:大きく変わるミナミ・日本日本最大の地下街完成」では、1971年完全開業した「虹のまち」完成当時の様子をご覧いただけます。
※動画が表示されていない場合でも、「YouTubeで動画を見る」を押していただくことで動画をご覧いただけます。

道頓堀川(spot:道頓堀橋)

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▶タイムトリップ!道頓堀川◀
>>>>>大阪万博前、両岸にグリーンベルトが出来ました

高度成長期、都心の川の水質悪化が社会的な問題となり、ここ道頓堀川でも川の浄化と環境整備が急務となっていました。

万博前の1967年に川の両岸に舟型護岸・グリーンベルトが完成。船べりのデザインの護岸に15000本のツツジなどが植栽されました。

1980年代前後には川の中に噴水やウォーターカーテンが造られ2000年には東横堀川水門と道頓堀川水門が完成。護岸は整備され2013年水辺の遊歩道「とんぼりリバーウォーク」が完成しました。

近年、道頓堀川の水質は徐々に改善されています。川はアユの姿が確認できるまでになり、最近では日本うなぎが発見され話題となりました。

道頓堀橋をくぐる通路(アンダーパス)の壁面はギャラリーとして活用されており、南側では道頓堀、左側では船場の歴史を紹介した「中央区の魅力発信パネル」がご覧いただけます。

アメリカ村(spot:BIGSTEP)

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▶タイムトリップ!アメリカ村◀
>>>>>大阪万博の頃は倉庫街でした

1960年代までアメリカ村は大丸百貨店や店舗の倉庫、駐車場と民家の並ぶ街でした。
上の画像には中央の御堂筋を挟んで右に大丸・そごう、左に後にアメリカ村と呼ばれる南炭屋町(現・西心斎橋)の一角が写っています。

1969年、御津公園(三角公園)前にできた喫茶店「LOOP」を中心に”アメリカ村”が自然発生的に形作られ、倉庫街は若者の街へと変わっていきました。

アメリカ村のランドマークBIGSTEPは、万博当時大阪市立南中学校の校舎でした。学校が移転し1993年にその跡地に開業、個性的なアメ村カルチャーを発信する基地として現在も人気を集めています。