江戸三十六見附ウォーク第1回 浅草橋門から市ヶ谷門まで歩こう

千代田区

江戸三十六見附ウォーク第1回 浅草橋門から市ヶ谷門まで歩こうのイメージ

「江戸三十六見附ウォーク」
江戸城を中心に巨大な城郭都市をなしていた江戸。江戸城の安全を見張るために街道の分岐点など交通の要所に36ヶ所の見附(見張り場所)が「の」の字を描き設置され、江戸城を護っていました。「江戸三十六見附ウォーク」は浅草橋駅から江戸城跡まで4回に分けて今も残る御門や見附跡を巡ります。

第1回のこのコースは、浅草橋門から市ヶ谷門の歩行距離約8kmのコースです。途中、周辺の史跡や名所にも立ち寄りながら楽しく巡っていただけます。

ツアーの参加にはアプリが必要です。アプリをインストールしてツアーコード「65924」で検索してください。
アプリを利用すると、デジタルスタンプラリーやフォトブックなどが楽しめます。事故やケガに備えて100円で最大1億円の保険も加入できます。

JR浅草橋駅

東京都台東区

JR浅草橋駅のイメージ

東日本旅客鉄道(JR東日本)・東京都交通局(都営地下鉄)の駅です。東口周辺は「久月」や「吉徳」などの人形問屋や模型メーカー・卸、総武線の南側は繊維・衣料品のメーカーや問屋が集まっていることで知られています。屋形船で有名な柳橋もほど近く、江戸時代は外堀の最北端を防衛する拠点として浅草橋門がありました。

※スタンプは、JR浅草橋駅 東口改札を出た付近で獲得できます。

柳橋

東京都台東区

柳橋のイメージ

江戸時代の柳橋付近は多くの芸妓が活躍する花街でした。隅田川にほど近く交通の便も良かったので文化人や商人の奥座敷として利用されました。当時は吉原まで柳橋から船で行くことが出来ました。1928年には、料理屋、待合あわせて62軒、芸妓366名という規模で賑わっておりました。代表的な料理屋は伊藤博文が利用した「亀清楼」ですが、現在は休業中です。今日は、隅田川や東京湾に向かう屋形船の船宿が集まっております。

※スタンプは、柳橋と書かれた柱付近で獲得できます。

浅草橋門

東京都台東区

浅草橋門のイメージ

浅草橋門は外堀の最北端を防衛する重要な拠点でした。当時は浅草橋を渡ったところに浅草橋門がありました。現在も橋の手前に「浅草見附跡」と書かれた石碑が立っています。寛永13年(1636)越前国福井藩主の松平忠昌(家康の二男秀康の子)が構築しました。橋を渡ると頑丈な高麗門があり、中に入ると敵の侵入を防ぐための枡形が作られていました。この付近の現在は日本橋女学館やオフィスビルが立ち並んでいます。

※スタンプは、浅草見附跡の石碑前で獲得できます。

柳森神社

東京都千代田区

柳森神社のイメージ

東京都千代田区秋葉原にある神社。通称は倉稲魂大神。
室町時代に、太田道灌が江戸城東北方面の鬼門除けとして京都の伏見稲荷大社を勧請して創建したとされ、椙森神社・烏森神社と共に江戸三森の一社と呼ばれました。境内の福寿神祠は徳川綱吉の生母桂昌院が江戸城内に建立したといわれ柳森神社でもっとも有名な「おたぬさん」の呼び名で親しまれています。「玉の輿」という言葉は、桂昌院(「お玉」が元の名前)が八百屋の娘から側室へとなったことが由来です。たぬき「他を抜く」という意味から、出世競争に勝てるようにと毎日多くのサラリーマンがお参りに来ています。最寄り駅 JR山手線・京浜東北線・総武線・東京メトロ日比谷線「秋葉原駅」 徒歩5分 

※スタンプは、神社入口付近で獲得できます。

万世橋

東京都千代田区

万世橋のイメージ

秋葉原電気街の南端に位置し、神田駅周辺とを結ぶ橋。肉の万世の所在地としても有名です。1676年(延宝4年)に架けられた筋違橋は、徳川将軍が寛永寺に詣でる際に渡る橋でしたが、1872年(明治5年)に取り壊され、その部材を再利用して万世橋が作られました。その後、1912年(明治45年)に中央線神田~御茶ノ水間に 「万世橋駅」が完成しました。現在はマーチエキュート神田万世橋としておしゃれなショップやカフェが並んでいます。

※スタンプは、万世橋と書かれた柱付近で獲得できます。

筋違門

東京都千代田区

筋違門のイメージ

筋違(すじかい)門は、寛永13年(1636)加賀百万石の三代藩主・前田利常が築きました。歴代将軍が大手門から神田橋門を通り、筋違橋門から下谷御成道を進み、上野寛永寺や日光東照宮へ参詣する「御成道」にあたるので御成門とも呼ばれたのです。浅草橋門からこのあたりまで土塁が続いており、筋違門もありました。浅草橋門と同じ構造の高麗門があったそうです。この門は日本橋を起点とする中仙道も通過するようになっていました。枡形は長方形でした。

※スタンプは、案内板の前で獲得できます。

湯島聖堂

東京都千代田区

湯島聖堂のイメージ

湯島聖堂(ゆしませいどう)は、東京都文京区湯島一丁目にある史跡。江戸時代の元禄3年(1690年)、江戸幕府5代将軍徳川綱吉によって建てられた孔子廟であり、後に幕府直轄の学問所となりました。現在の東京医科歯科大学はその跡地にあります。
湯島天満宮(湯島天神)とともに、合格祈願のために、受験生が多く参拝に来ます。
公開時間・午前9時半~午後5時まで(冬季は4時)

※スタンプは、大成殿の前で獲得できます。

神田明神

東京都千代田区

神田明神のイメージ

神田明神(かんだみょうじん)は、東京都千代田区外神田二丁目に鎮座する神社です。正式名称「神田神社」。神田祭を行う神社として知られる。神田、日本橋(日本橋川以北)、秋葉原、大手町、丸の内、旧神田市場・魚市場など108か町会の総氏神です。平将門と縁結びの神・大己貴命(おおなむちのみこと)と商売繁昌・病気治癒の神・少彦名命(すくなひこなのみこと)が祀られています。 最寄り駅:末広町(東京都)駅から徒歩約5分 営業時間:通年 9:00~16:00

※スタンプは、御社殿の前で獲得できます。

三崎稲荷神社

東京都千代田区

三崎稲荷神社のイメージ

創建は詳かでないが建久以前、仁安の頃とも伝えられる。当時の神田山(現、駿河台)の山麓(現、本郷一丁目)武蔵国豊島郡三崎村に鎮守の社として祀られたとされ、その後幾多の変遷の後、明治三十八年現在地に遷座される。御祭神は、宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)須佐之男神(すさのおのかみ)大市姫神(おおいちひめのかみ)大物主神(おおものぬしのかみ)。

※スタンプは、鳥居付近で獲得できます。

小石川門

東京都文京区

小石川門のイメージ

神田川と日本橋川の分岐点のすぐ西側にあります。総武線・中央線のガードあたりが飯田橋門でした。 しかし現在は残っていません。小石川門は、寛永13年(1636)備前国岡山藩主の池田光政が築きました。この門は水戸様御門とも呼ばれ、神田川に架橋された小石川橋外には徳川水戸家の藩主光圀の上屋敷(8万坪)があったのです。見附門内の一帯は讃岐国高松藩松平家の中屋敷でした。小石川門の枡形は長方形で、高麗門の間口は約5.3mです。小石川橋を渡り飯田橋方面に歩いたところに市兵衛河岸跡の説明版があります。ここは昌平橋との間を運行する船の発着場でした。

※スタンプは、案内板前で獲得できます。

牛込門

東京都千代田区

牛込門のイメージ

牛込門の枡形はJR飯田橋駅西口の改札口を出た左側の牛込橋の終わりにあります。神楽坂通りの起点が牛込御門です。牛込御門の枡形は阿波国徳島藩の蜂須賀忠英が構築しました。橋のたもとの交番脇に展示してある石には、「阿波乃國」と彫られています。上州道に通じる交通の要所です。

※スタンプは、牛込門付近で獲得できます。

国指定江戸城外堀史跡

東京都新宿区

国指定江戸城外堀史跡のイメージ

牛込御門跡の西側に残る石垣の先から、土塁上の遊歩道があります。三大将軍徳川家光の命で造られ、現在は牛込見附(飯田橋)から赤坂見附の間が国指定史跡となっています。道路の左側には、日本赤十字社発祥の地である東京逓信病院、法政大学が立ち並び、春は咲き誇る桜を、秋は紅葉を堪能できます。

※スタンプは、市ヶ谷門の案内板の前で獲得できます。

市ヶ谷門

東京都新宿区

市ヶ谷門のイメージ

現在は、門跡一部の石垣は残っています。門跡の石垣には、烏帽子の形に似ている烏帽子石と呼ばれる巨大な石は日比谷公園に移設されました。また、石には運んできた大名を識別する印のある石も残っています。枡形の高麗門は、美作国津山藩主の森長継が構築しました。枡形の周囲は広小路で、それを囲むように旗本屋敷が立ち並んでいました。
市ヶ谷の由来は、この辺りに市が立ち、品物の売買が行われ、市買いと呼ばれていましたが、その後市ヶ谷と変わっていったそうです。

※スタンプは、案内板の前で獲得できます。

南北線市ヶ谷駅

東京都新宿区

南北線市ヶ谷駅のイメージ

法政大学、大妻女子大などの学生が多く利用しているのが市ヶ谷駅です。南北線のコンコース中央には「江戸歴史散歩コーナー」と称するミニ博物館が設置されており、同線建設工事の際に発掘された石材を使って復元された石垣が飾られています。総武中央線に並行するお濠沿いは春になると桜が咲き、花見客が多く訪れる都内屈指のお花見スポットでもあります。

※スタンプは、武蔵野美術大学市ヶ谷キャンパス前付近で獲得できます。