ご利益コース(姫路・播磨 ちょっと足を延ばしてコース)

兵庫県

ご利益コース(姫路・播磨 ちょっと足を延ばしてコース) のイメージ

一般社団法人Social Eightでは、姫路城世界遺産登録30周年記念事業として
「わくわくは、SORA(天・空・奏・想)にある」を展開していきます。
このプランは、姫路・播磨エリアの北側の山のあるエリア(書写山・廣峯山)、南側の海エリア(家島群島)、天守閣のある姫路城周辺のまちを、SORAでつないでいきます。

ご利益コース(姫路・播磨 ちょっと足を延ばしてコース)では、少し、姫路城の街中から離れた書写山圓教寺、廣峯神社、家島神社・宮浦神社・真浦神社など、探索いただくコースです。ご利益もあり、景色・歴史・文化・食を堪能することができます。

ツアーの参加にはアプリが必要です。アプリをインストールしてツアーコード「96077」で検索してください。
アプリを利用すると、デジタルスタンプラリーやフォトブックなどが楽しめます。
また、この「わくわくは、SORA(天・空・奏・想)にある」では、絵画コンテストを同時に行っています。体験コースを描いてみましょう。https://social-eight.com/event/5073/

ツアーの参加にはアプリが必要です。アプリをインストールしてツアーコード「96077」で検索してください。
アプリを利用すると、デジタルスタンプラリーやフォトブックなどが楽しめます。事故やケガに備えて100円で最大1億円の保険も加入できます。

家島神社

兵庫県姫路市

家島神社のイメージ

「天神さん」と呼ばれ昔から島民に親しまれています!

家島本島・宮港の東の天神鼻にあります。神社の周囲は島唯一の原生林に囲まれ、ウバメガシやトベラ、シイ、モチなどの温帯照葉樹が繁茂していて、家島十景のひとつ「天満霊樹」とされています。ここに原始林が残っているのは、常に聖地とされ、人の手がほとんど加えられていないからです。家島神社は、神武天皇が武運長久と海上交通の安全を祈願して天神(アマツカミ)をお祀りした事が始まりとされています。「続日本後紀」には、国家鎮護の神として承和7年(840年)官社に列せられたとあります。昌泰4年(901年)、菅原道真が左遷されて太宰府に向かう途中、島に立ち寄り休憩した跡に小さな社を建て、その後、社殿を新築したと伝えられています。毎年7月25日に行われ、壇尻船が出る勇壮な夏祭り「家島天神祭」は、家島神社の例祭です。

宮浦神社

兵庫県姫路市

宮浦神社のイメージ

主祭神、猿田彦神
配祀神、天照皇大神
由緒は、家島本島宮地区の氏神神社として鎮座する。諸島総鎮守の家島神社と関係が深い。夏祭りでは当社の火を戴いた上で提灯行列が行われ約1.5km離れた家島神社にその火を移す事によって祭りが始められることからも伺える。

当社は以前、家島白髭大明神を称していたが、明治になって宮浦神社と改称された。

姫路港(姫路ポートセンター)

兵庫県姫路市

姫路港(姫路ポートセンター)のイメージ

姫路港は瀬戸内海の東部・播磨地域の中央部の姫路市臨海部に位置する国際拠点港湾で、港湾区域は東西約18kmにわたり、面積約7,700haを有しており、隣接する重要港湾東播磨港とともに、工業港として我が国の経済に重要な役割を果たしています。

姫路港は、旧くは瀬戸内海の交通の要衝として、城下町「姫路」を支える港として発展してきましたが、大きく発展したのは戦後であり、公共岸壁の整備と併せ、工場などの立地によって専用施設の整備が進められました。
また、本港は近畿のエネルギーの供給基地でもあり、発電所・LNG基地施設等が立地しています。
野田川の河口に開けた旧飾磨港(飾磨地区)は旧くは「思賀麻江」と称し、瀬戸内海を往来する船はもとより、遣唐使の船も碇泊して賑わいました。
西暦985年花山天皇行幸のおり「飾万津」と改称され、その後約1千年間内海航路の要衝として隆盛を極めました。
江戸時代は舟運によって、世界文化遺産に指定された姫路城と結ばれ、姫路藩の「海の玄関口」として栄え、明治22年港名を飾磨港としました。
その後、昭和6年主要港湾に編入され、昭和10年第二種重要港湾指定を実現し、次々と製鋼工場等の工場誘致を図りました。
また、広畑港(広畑地区)では半官半民の日本製鉄(現:新日鐵住金(株)広畑製鐵所)により岸壁・防波堤・航路・泊地などの港湾施設が次々と整備される中、昭和14年当時世界でも有数の千トン高炉に火が入りました。

書写山圓教寺

兵庫県姫路市

書写山圓教寺のイメージ

摩尼殿から見下ろすモミジとイチョウの濃淡は特に見物です。また、金剛堂周辺はモミジの落ち葉が重なり、秋の佇まいを感じることができます。

廣峯神社

兵庫県姫路市

廣峯神社のイメージ

奈良時代末、天平5年吉備真備公が中国から帰国した際、広峯山系の白幣山に登臨して牛頭天王の信託を感受し、

この旨を天皇に奏上して綸命を受け、翌年に廣峯神社の大社殿を造営しました。
現在、本殿・拝殿とも国の重要文化財であり、国内最大級の大きさを誇っています。